ウラル山脈
航空機より見たウラル山脈 (2006年5月撮影)
山脈を挟んで左側がアジア、右側がヨーロッパ
所在地 ロシア
カザフスタン
最高峰ナロードナヤ山(1,894 m)
延長2,500 km
幅- km
プロジェクト 山
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ウラル山脈(ウラルさんみゃく、ロシア語: Ура?льские го?ры, カザフ語: ОрапBтаулары, バシキール語: УрапBтау?ары, Uralskiye gory、英: Ural Mountains)は、ロシアを南北に縦断する山脈。ユーラシア大陸をヨーロッパとアジアに分ける境界線の北側を形成している。
ウラル山脈は石炭紀後期にできた古期造山帯で、現存する山脈でも最も古いものである。
地理ウラル山脈の位置
ウラル山脈は並行する小さな山脈群からなり、東経60度の経線に沿って連なっている。カザフスタン北部のステップ地帯から北極海沿岸のツンドラにまで伸び、長さは約2,498km、平均標高は900mから1200mである。最高峰は1,895mのナロードナヤ山。ヴァイガチ島とノヴァヤゼムリャもこの山の連なりの一部にあたる。
地形の侵食が進んでいるため豊かな鉱物資源がむき出しになっており、中にはベリルやトパーズといった宝石もある。またウラル山脈の北西部にあるコミの原生林は動植物相の豊かさで知られ世界遺産に登録されているが、その地下にある豊富な金鉱のため開発の危機にさらされている。また、南部のバシコルトスタン共和国内の一部とチェリャビンスク州内の一部はそれぞれユネスコの生物圏保護区に指定されている[1][2]。一帯にはタイガなどの森林が多く、マガモ、ヨーロッパオオライチョウ、エゾライチョウ、ヤマシギ、ユキウサギ、ヨーロッパビーバー、マスクラット、マツテン、ミンク、アカギツネ、イノシシ、ヘラジカ、ヒグマ、ブリーム、チャブ、アスピウス
(英語版)、シルバーブリーム(英語版)、ヨーロッパブナ、オオバナウグイ、ヨーロッパカマツカ(英語版)、オルフェ(英語版)、デイス、ヒメハヤ、ローチ、ノーザンパイク、カワメンタイ、ラッフ、ヨーロピアンパーチ、パイクパーチ、ヨーロッパオオナマズなどが生息している[2]。ウラル山脈の西部はヴォルガ川水系に属し、カマ川やベラヤ川などの大河が流れ大陸性気候の森林地帯になっている。
一方山脈の東部はオビ川・エルティシ川水系に属し、南部はステップ、中部は西シベリア低地のタイガと広大な沼地が広がる。
山脈の南部からはウラル川がカスピ海へ向かって流れ、アジアとヨーロッパの境界線をなしている。山脈北部からはペチョラ川が西へ流れ、北極海の一部であるバレンツ海に注いでいる。 ウラル山脈は68%がロシアに属し、南の32%はカザフスタンに属する[3][4]。地理学者はウラル山脈を大きく南部ウラル、中部ウラル、北部ウラル、亜北極ウラル、北極ウラルに分ける。 北部と南部は1,500mを超える比較的高い山が多いが、中部は600mから800mと低い山が続く[5]。森林限界は北へ進むにつれ、標高1,400mから海抜0mにまで下がってゆく。南部と中部では、山脈のほとんどが森林地帯である。 「ウラル」とは、テュルク諸語で「帯」を意味する[5]。石のころがる山地が帯のように続くところからこの名があると見られる。このウラル山脈が、北アジアの先住民だったウラル語族の民族の故地であると考えられてきたが、後の研究ではウラル語族の故地は山脈西側のロシア中央部ヴォルガ川流域、またはサヤン山脈北麓、遼河地域などの説がだされている。 ウラル山脈の存在は古代ギリシアではヘロドトスの頃には既に知られており、ユーラシアを旅したアラブ人旅行者らも多くの旅行記を残している[5]。ロシア人によるウラル探検はノヴゴロド公国の商人らが毛皮を求めて山脈を越えた11世紀に始まり[5]、ウラル山脈北西部から流れるヴィチェグダ川などを遡ってフィン・ウゴル語族の諸民族と毛皮交易を行った。 やがてロシア人は16世紀頃からウラル山脈中部の西にあったカザン・ハン国や、山脈の東にあったシビル・ハン国など、テュルク系やモンゴル系の諸民族の国を征服し、これをロシアに組み込んでいった。ウラル山脈中部は標高が低く緩やかで、ヴォルガ川水系の支流とエルティシ川水系の支流が入り組んで流れており、これらの川を結び丘を越える連水陸路を開発することにより両水系が結ばれ、河川を通じたロシア人のシベリア進出を助けた(シベリアの河川交通も参照)。
ウラルの区分
北極ウラル (Poljarny Ural): 北緯66度から69度、東経62度から67度、ウラル山脈最高峰ナロードナヤ山より北
亜北極ウラル (Pripoljarny Ural): 北緯64度から66度、東経59度から62度、ナロードナヤ山周辺地域
北部ウラル (Severny Ural): 北緯59度から64度、東経59度周辺、ナロードナヤ山からセロフ市の間
中部ウラル (Sredni Ural): 北緯56度から59度、東経58度から61度、セロフからチェリャビンスクの間
南部ウラル (Juschny Ural): 北緯52度から56度、東経57度から60度、チェリャビンスクからオルスクの間
歴史ウラル山中のコルチェダンの村。1912年撮影