ウラジーミル・アルセーニエフ
人物情報
生誕 (1872-08-29) 1872年8月29日
ロシア サンクトペテルブルク
死没1930年9月4日(1930-09-04)(58歳)
ソビエト連邦 ウラジオストク
学問
研究分野植物学・人類学・民族誌学
研究機関ハバロフスク博物館
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ウラジーミル・アルセーニエフ(ロシア語: Владимир Клавдиевич Арсеньев、英語: Vladimir Klaevdievich Arseniev、 1872年8月29日 - 1930年9月4日)はサンクトペテルブルク生まれの極東ロシア地域の探検家、研究者、諜報官、地理学者、民族誌学者、作家である。シベリア植物の数多くの種を書き記した最初の人物であると言われている。 1872年、サンクトペテルブルク生まれ。1910から1918年までハバロフスク博物館長をつとめる。
経歴
業績
ロシア帝国時代の1900年代に沿海州を探検し、探検に同行したナナイ族の猟師デルスウ・ウザーラと親交を結んだ。アルセーニエフの著書『デルスウ・ウザーラ』(ロシア語: Дерсу Узала)には、デルスウとの旅が書かれている。この本に感銘を受けたゴーリキーは、アルセーニエフに手紙を書きロシア国立出版所から出版することを勧め、1930年代からソビエト連邦全土で読まれるようになった[1]。
ウラジオストクには彼の名を冠したアルセーニエフ沿海地方州立博物館とアルセーニエフの家記念館がある。この博物館には、中国・明朝の支配がアムール川下流域まで及んでいたことを示す「奴児干(ヌルガン)永寧寺碑」が収蔵されている(ヌルガンはアムール川下流地域を指す)[2][注釈 1]。
ウラジオストクの北東約180kmのところには、彼の名にちなんだアルセーニエフという町が存在する。
著書
「密林で出会った動物たち」(世界少年少女文学全集第47巻動物文学集、創元社1954年?1956年)
「ウスリー地方にそって」
『ウスリー紀行』 長谷川四郎訳(世界探検紀行全集10:河出書房、1953年)
「デルス・ウザラ」
長谷川四郎訳 「デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行」平凡社東洋文庫、1965年[3]
「デルスー・ウザーラ」河出文庫 全2巻、1995年[4]
加藤九祚訳、角川文庫、1975年。映画公開での出版
安岡治子訳 地球人ライブラリー(抄訳):小学館、2001年[5]
「シホテアリニ山脈にて」
「密林を通って」
『タイガを通って 極東シホテ・アリニ山脈横断記』 田村俊介訳、平凡社東洋文庫、2009年[6]
出典・脚注
注釈^ 15世紀の初め、明の永楽帝は現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ(尼港)西部に出先の役所を設置した。そこの長官(女真人)は、占いに則って西方の高く麗しい山の上に寺院を建て、土で仏像も造った。そのさまは優雅できらびやかなものであった。そして、これらの経緯を記した石碑を立てた。なお、碑文は、石碑の表の面が中国語、裏の面が女真語であり、側面には漢字・女真文字・パスパ文字(モンゴル)・契丹文字が書かれているという。