ウラジーミル・ヴェルナツキー
[Wikipedia|▼Menu]

ウラジーミル・ヴェルナツキー

生誕1863年2月28日
ロシア帝国ペテルブルク
死没 (1945-01-06) 1945年1月6日(81歳没)
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
研究分野地質学, 結晶学, 鉱物学, 地球化学, 同位体地質学, 生物学, 生物地球化学, 哲学
研究機関モスクワ大学
ウクライナ国立学士院
タヴリダ国立大学
出身校サンクトペテルブルク大学
主な業績ノウアスフィア
生物地球化学
影響を
受けた人物ヴァシーリー・ドクチャエフ
署名
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

ウラジーミル・イワノヴィチ・ヴェルナツキー[1]ウクライナ語: Володимир ?ванович Вернадський, ロシア語: Владимир Иванович Вернадский, 1863年2月28日 - 1945年1月6日)は、ソ連鉱物学者にして地球化学者ウクライナ人ウクライナ科学アカデミーの創立者。彼のノウアスフィアの考え方はロシア宇宙論に重要な役割を果たした。1926年の有名な著書 The Biosphere で、生命地球を形成する地質学的力であるという仮説に1885年にエドアルト・ジュースが提唱した生物圏(biosphere)という用語を誤って使い、それを広めた。彼はまた、地球化学生物地球化学放射年代測定などといった新しい学問分野の創設者でもある。1943年にスターリン賞を受賞する。
経歴

ヴェルナツキーは1885年サンクトペテルブルク大学を卒業。ロシアの最後の鉱物学者が1887年に死に、土壌学ヴァシーリー・ドクチャエフや地質学者アレクセイ・パヴロフ(ロシア語版)が鉱物学を教えていたということもあり、ヴェルナツキーは鉱物学の道を歩むことを決心した。1888年6月20日、彼はスイスから妻ナターシャ宛てに次のような手紙を出している:…応えるべき疑問も持たず、計画もなく、単に事実を収集するだけでは面白くない。しかし、地球上では様々な場所、様々な時点で化学反応が起きている。個々の化学反応が何故起きたのかは判っているとしても、全体として地球が何らかの天の摂理によって変化しつつあると考えることもできる。私はそれを追求することで、化学元素の複雑性やそれらの発生の規則性を発見できるのではないかと考えている…

学位論文のテーマを決めようとしていたころ、彼は結晶学者のアルカンジェロ・スカッキ(イタリア語版)の教えを請うためにナポリを訪ねた。しかしスカッキは既に高齢で耄碌していたため、ヴェルナツキーはドイツに向かい、鉱物学者のポール・ハインリッヒ・フォン・グロートを訪ねた。そこで、彼は結晶光学特性・熱特性・弾性磁性電気的特性を研究する最新式機械の使い方を学び、同時に結晶化の研究者 Zonke の研究室も使わせてもらった。

ヴェルナツキーはまずノウアスフィアの概念を一般化し、生物圏の考え方を今日科学界で知られているような意味に拡大し深めた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef