ウラジオストク
[Wikipedia|▼Menu]

ウラジオストク
Владивосток


市旗市章

位置

ウラジオストクの位置。ルースキー島(中央の赤い部分)の対岸、ピンクの部分がウラジオストク。
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度7分 東経131度55分 / 北緯43.117度 東経131.917度 / 43.117; 131.917
歴史
建設1860年
旧名海参?
行政
ロシア
 連邦管区極東連邦管区
 行政区画 沿海地方
 市ウラジオストク
市長コンスタンチン・シェスタコフ(ロシア語版)(2021年 - )[1][2]
地理
面積 
  市域331.16 km2
標高40 m
人口
人口(2020年現在)
  市域606,561人
    人口密度  1832人/km2
その他
等時帯ウラジオストク時間 (UTC+10)
郵便番号690XXX
市外局番+7 423
ナンバープレート25, 125
自治体コード (OKATO) : 05 401
公式ウェブサイト : www.vlc.ru

ウラジオストク(ロシア語: Владивосток, ラテン文字転写: Vladivostok ヴラヂヴァストーク、ロシア語発音: [v?d??v??stok],  発音[ヘルプ/ファイル], 漢語: 海参?、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: h?ish?nw?i)は、ロシア沿海州最大の都市で行政の中心地である。日本海金角湾周辺に位置し、面積は331.16平方キロメートル(127.86平方マイル)、人口は2021年現在で60万871人である[3]。ウラジオストクは、極東連邦管区、および極東ロシア地域において、ハバロフスクに次いで2番目に大きな都市である。

1860年にロシア軍の前哨基地として設立された。1872年、太平洋に面したロシア海軍の主要基地が移設され、以後ウラジオストクは発展していく。1917年のロシア革命勃発後、1918年に外国軍に占領され、日本からの最後の撤退は1922年であった。このとき、ウラジオストクの反革命白軍部隊は速やかに崩壊し、ソ連政権が確立された。ソ連崩壊後、ウラジオストクは沿海州の行政の中心地となった。

ウラジオストクは太平洋に面したロシア最大の港であり、ロシア極東の経済、科学、文化の中心地であり、ロシアにおける重要な観光地でもある。シベリア鉄道の終着駅として、2017年には300万人を超える観光客が訪れた[4]。極東連邦管区の行政の中心地であり、ロシア海軍太平洋艦隊の司令部が置かれている。その地理的位置とロシア文化から、「極東のヨーロッパ」とも呼ばれている[5] [6]。ウラジオストクには多くの外国領事館や企業がオフィスを構えており、毎年東方経済フォーラムが開催されている。ウラジオストクの年間平均気温は約5℃と、中緯度の海岸沿いの都市としては寒冷な気候である。これは、冬に広大なユーラシア大陸から吹く風が、海水温を下げるためである。
名称

Владивостокという言葉は、「ヴラジ- (влади)」と「ヴォストーク (восток)」から成っており、「ヴォストーク」は「東」を意味し[注釈 1]、「ヴラジ-」は「領有・支配する、物件を自由に使う、制御する」を意味する動詞「владеть (ヴラヂェーチ)」からきている。

この名称は「東方を支配する町」を意味するが、その通りウラジオストクはロシアの極東政策の拠点となる軍事・商業都市であった[注釈 2]。これは、ロシアの古い都市ウラジーミル(公・大公の名に由来)に範を取った名称であるためであり、ほかにも同時期に作られたウラジカフカスカフカースを支配する町)などがある[7]。また、しばしば「東方を支配せよ(Rule the East)」、「東方の支配者(Lord of the East)」、「東方の覇者(Conqueror of the East)」とも解釈される[8]

日本語のカナ音記ではさまざまな表記が見られるが、ウラジオストク、ウラジオストック、ヴラジヴォストーク、ヴラヂヴォストーク、ウラディヴォストーク、ヴラヂヴォストーク(ソビエト科学アカデミーによる公式な日本語表記)、ウラジヴァストークなどが挙げられる。

上述の通り、本来のロシア語での造語としてはウラジ・オストク(ヴラディ・ヴォストーク)が正しいのであるが、日本ではたびたびウラジオ・ストクと異分析され、明治時代以降浦塩斯徳(または浦潮斯徳)と当て字された。通称は「浦塩(浦潮)/ウラジオ」と略され、気象通報でも以前は「ウラジオ」と呼称されていた。

中国語では清国の領土だった時代の呼称である海参?と表記される他(後述)、ロシア語名の音訳である符拉迪沃斯托克の表記も使われる。
地理

ウラジオストク市は沿海地方南部のピョートル大帝湾の南にあり、平地が少なく坂の多い港町である。日本海に突き出したムラヴィヨフ・アムールスキー半島(長さ30キロ、幅12キロ、ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーに由来する)南端部の北緯43度7分、東経131度51分に位置し、ロシア海軍の太平洋艦隊の基地が置かれる軍港都市でもある。ウラジオストクの衛星画像

丘陵上の市街に囲まれるようにして金角湾が半島に切れ込んでおり、天然の良港になっている。街の中心部は金角湾の奥にある。南には東ボスポラス海峡をはさんで軍用地や保養所などのあるルースキー島が浮かぶ。
民族構成

ウラジオストクを含む沿海地方ハバロフスク地方は、19世紀末からウクライナ人入植者が多く、緑ウクライナとも呼ばれていた。現在はロシア系ウクライナ系が大多数を占める。2010年の全ロシア国勢調査によると、ウラジオストクには70以上の民族が住んでおり、その中で最も多いのは475.200人のロシア人 、10,474人のウクライナ人、7,109人のウズベク人、4,192人の高麗人、2,446人の中国人、2,295人のタタール人、1,642人のベラルーシ人、1,635人のアルメニア人、1,635人のアゼリー人、その他1,252人。

調査によると、2002年以降、都市の民族構成が変化し、ウズベク人のシェアは14.4倍に増加し、中国人とタジク人のシェアは5.4倍、キルギス人は8.5倍、高麗人は1.6倍増加した。沿海地方の高麗人の半数以上は、ウラジオストクとウスリースクの2つの都市に居住している。沿海地方のウズベキスタン人の80%以上がウラジオストクに住んでいる。前述のように、ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人、タタール人の割合は減少している。また近年の建設ラッシュに合わせ、北朝鮮や中央アジア各地からの労働者が建設業などに携わっている。ロシア革命前後には日系人が6,000人ほど在住し日本人街が形成されていた。2011年現在、外務省へ届け出ている在留邦人(日本国籍所有者)は104人[9] にすぎない。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:98 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef