ウプサラの神殿[1](ウプサラのしんでん)は、かつて存在していた、北欧における異教信仰(en:Norse paganism)の聖地をいう。それは現在のスウェーデンのガムラ・ウプサラ(スウェーデン語で「古ウプサラ」の意)にあったとされている。その証拠となるのが、ブレーメンのアダムによる11世紀の著作『ハンブルク教会史(Gesta Hammaburgensis ecclesiae pontificum)』、および、13世紀にスノッリ・ストゥルルソンによって書かれた『ヘイムスクリングラ』である。この学説は神殿に関する文献の記述と、該当する地域における考古学的な発見及びその欠如から推測される事柄について提示している。 ブレーメンのアダムは、その著書『ハンブルク教会史』で神殿について記述しているが、彼によれば「ウブソラ(Ubsola)と呼ばれる非常に有名な神殿」がシグトゥーナ
文献における証明
ハンブルク教会史
アダムは、3柱の神には人民から神々に犠牲を捧げるためそれら各々に任じられた司祭がいる、と語っている。飢饉または疫病が生じるならばトールに、戦争があるならばウォーダンに、結婚が行なわれることになっているならばフリッコに犠牲が捧げられる。アダムはさらに「9年ごとにスウェーデンのあらゆる地方の共同体の祝祭が、ウブソラ(Ubsola)で開催される。そして(それはあらゆる罰より残酷であるが)すでにキリスト教に改宗していた人々は、儀式から自身を金で購(あがな)わなければならない。」[2]
アダムは神殿で執り行われる犠牲について詳細を記しているが、それによれば雄の「あらゆる生きた動物」9体が犠牲のために提供されると解説し、そしてそれらの血が神をなだめるという習わしについて言及している。9体の雄の死体は神殿のそばの木立ちの中に掛けられる。アダムによれば、犠牲として捧げられる犠牲の死と、木に掛けられた腐りかけの死体によって各々の木が「神聖であるとみなされている」ほど異教徒に大変神聖なもの思われていること、また人間の男性の死体の中に混じって犬や馬も木立ちの中に掛けられているとしており、アダムも「あるキリスト教徒」が、異なる種類の72の死体が木立ちの中に掛かっているのを見たと彼に教えたのを明らかにしている。アダムは人々がこれらの犠牲の儀式の間に歌う歌に対する嫌悪感を呈しており、歌については「非常に数多く、気持ちが悪いものである。これらについては黙して語らないのが最上であろう。」[2]と皮肉を書いている。
アダムは、神殿の近くに、枝をずっと広げた大きな木が立っていることを説明する。その木は夏も冬も常緑であるという。木の側にも犠牲が供される泉がある。アダムによると人間が生きたまま泉に放り込まれる習慣があり、犠牲者が水面に浮いて来なければ「人民の願望は成就する」とされる[2]。
アダムはまた、神殿を取り巻く金の鎖が建物の切妻から下がっていると記述している。鎖は神殿が建設された「古代の円形劇場」のように丘に囲まれた平野部に位置する地勢によって[3]、遠くから近づいて来る者にはとても良く見える。祝宴と供犠は9日間にわたって執り行われ、1日ごとに2匹の動物に加えて人間が犠牲として捧げられる。したがって9日で計72回の供犠が行われる。アダムが書きとめるところでは、これらの供犠は「春分の時節頃に執り行われる」[2]。
なお、アダムは1070年頃に古ウプサラのこの神殿を訪問した[4]とも、訪問はなくデンマークからの風聞に基づいて記録した[5]とも考えられている。
ヘイムスクリングラHugo Hamiltonが描いた、ユングヴィ・フレイによるウプサラの神殿の建設。