ウビフ語
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ウビフ語

t°ax?bza , t??χ?bz?
発音
IPA: t?p?χ?bz?
話される国ソチ周辺(1864年以前)
トルコ(1864年以後)
地域コーカサス
消滅時期1992年10月7日
言語系統コーカサス諸語

北西コーカサス語族

ウビフ語


表記体系無文字言語
言語コード
ISO 639-1なし
ISO 639-2cau
ISO 639-3uby
消滅危険度評価
Extinct (Moseley 2010)
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ウビフ語(ウビフご、ウビフ語: t°ax?bza, t??χ?bz?)は、かつてウビフ人によって話されていた北西コーカサス語族(アブハズ・アディゲ諸語)の言語の一つ。
概要

ウビフ語は80または81の子音を持ち、コン語の子音が解明されるまでは世界でもっとも多くの子音を持つ言語であると考えられていた[1]

膠着的な形態法を持つ。能格型の格標示を行う。8?10個の時制と5個のを区別する。動詞は多くの接頭辞接尾辞によるきわめて複雑な派生屈折を行う。

ウビフ語話者は自身の言語をt?aχ?bzaと呼んだ。これはウビフ人の自称であるt??χ?[2]:195と言語を表すbz?[2]:91の複合語である。

「ウビフ」という名称はアディゲ語におけるウビフ人の呼称(アディゲ語: убых /w?b?x/)から来ている[3]:22。
歴史

ウビフ語を話すウビフ人は、もとは黒海北部沿岸のソチの付近に住んでいたが、1864年に起きたロシアとのコーカサス戦争で敗戦後、生き残ったウビフ人は主にトルコへ移住した[4]:33[注釈 1]

ウビフ語の最古の記録として知られているのは17世紀頃にエヴリヤ・エフェンディが記したセイハトナーメ(英語版)で、「サズ語」としてウビフ語を記録している[6]:8-9。サズ人はアブハジア人の住む土地とウビフ人の住む土地の間に住んでいたと言われており、ウビフ人同様にコーカサス戦争後はトルコへ移住している。尚、サズ人はアブハズ語の一方言を話しており、ウビフ語とは関係無い。

近代ではジェームス・ベルが1840年に「アバザ語」としてウビフ語の単語を記録しており[7]、1887年にはピョートル・ウスラル(英語版)がアブハズ語の文法書内の補遺にウビフ語の記録を遺している[8]

ロシア科学アカデミーの要請によりアドルフ・ディル(ドイツ語版)が1913年にウビフ語の調査を行い[9]:1-4、1928年にウビフ語に関する書籍を出版した[9]。これが知られている限り最も古い体系的なウビフ語の記録である[注釈 2]。彼は自著にて次のようなことを述べており、1913年の時点で既にウビフ語が絶滅寸前であったことがわかる。

... 正直、これが完成するかどうか怪しい。1898年にBenediktsenが既に述べていたことは1913年までに全て確認した。ウビフは絶滅した言語であり、全てのウビフ人はトリリンガル[注釈 3]であった。彼らはチェルケス語トルコ語、そして少しのウビフ語を知っていた。Kyrkbunarで私は喜ばしい事に、もちろん、完全ではないインフォーマットを見つけた。...

(中略)

... ウビフ人は最早独自の民話を持たず、チェルケス語やトルコ語で歌い、おとぎ話や伝統もまたウビフ語ではなくそれらの言語で語っている。Benediktsenは既にウビフ語の歌を知っていた老人は一年前に死んでいたという事を報告している ... ? Dirr, A. (1928) Die sprache der ubychen p.3、著作権保護期間満了

第二次世界大戦前に単独の本として出版されたウビフ語の著書はアドルフ・ディル以外に1931年にジョルジュ・デュメジル[10]、1934年にジュリアス・メスザロス[11]がそれぞれ出版している。

第二次世界大戦後、ジョルジュ・デュメジルを筆頭に多くの学者がウビフ語を記録した。1954年に「ウビフ語の発音構造[12]」、1955年に「ウビフ語の喉音[13]」、1958年に「ウビフ語の母音[14]」という論文が発表され、子音が80個以上存在するという学説が成立する。それ以前の文献では子音の表記が不正確[12]:162-163であるため注意が必要であるが、Dirr 1928とDumezil 1931に記載されたウビフ語テキストは1959年に校正され[15]:51-76、Meszaros 1934に記載されたことわざ一覧は1960年に校正された[16]:79-89。この音素構造の解明とテキストの校正では、ウビフ語話者であるテヴフィク・エセンチが活躍した。彼はトルコ語が流暢に話せない祖父母に育てられ[2]:66-67、8歳までウビフ語のみで生活をしていた[2]:258ウビフ語母語話者で、1956年から亡くなる前年の1991年[注釈 4]までウビフ語の記録に協力した。

単語集自体はDirr 1928, Dumezil 1931, Meszaros 1934に収録されているが、前述通り音素が正確でなかった。1963年、ハンス・フォークト(ノルウェー語 (ニーノシュク)版)は今まで発表されたテキストを基にウビフ語-フランス語辞書を出版した[2]。尚、この辞書は1965年デュメジルによって校正されている[17]:197-259ため、この辞書を用いる際はデュメジルによる校正も参照する事が望ましい。

文法面は1959年以降、長らくまとまった資料が作られなかったが、1975年にデュメジルが「ウビフ語の動詞[18]」を出版した。ウビフ語全体の文法については1989年にシャラシゼが記述している[19]。また、2011年には初めて英語で書かれた文法書がフェンウィックにより出版された[20]

1992年10月7日、テヴフィク・エセンチが死去したことで母語話者が誰もいなくなり、死語となった[3]:5。

2011年現在、ウビフ語の言葉を知る者は殆どおらず、知っていてもいくつかのフレーズが言える程度であったという報告がある[21]
歴史的な話者分布

公的なウビフ語の話者統計は存在しない。以下は断片的な情報である。

1864年以前、ウビフ人はソチ周辺に住んでいた。キシュマホフによれば、ウビフ人は現在のヴォルコンカ(Волконка)以南ホスタ(Хоста)以北の範囲に住んでいた
[22]:346-347。

1889年にAge Benediktsen、1913年にジェームス・ベル、1930年にジョルジュ・デュメジルはトルコ共和国のサパンジャ(英語版)にあるウビフ人の村を訪れていたが、1965年までに話者の殆どが死亡していた[17]:11-36。

1931年ジュリアス・メスザロス、1953年以降のジョルジュ・デュメジル、1957年以降のハンス・フォークト、1965年以降のジョルジュ・シャラシゼ(英語版)などの大半の言語学者はバルケスィルのマニャス地区にあるウビフ人の村を訪れていた[23]:38。テヴフィク・エセンチはマニャス地区のHac? Osman koyu (ウビフ語:l?k??????[2]:136)と呼ばれる地区に住んでいた。

カフラマンマラシュサムスンにもウビフ語話者が居たとされているが、カフラマンマラシュでは1967年に最後の話者が死亡し、サムスンでは1974年の時点で誰もウビフ語を話していなかったという報告があり、言語学者による調査は殆ど行われていない[24]:278。

音素

ウビフ語は北西コーカサス語族の中では数少ない、咽頭音を区別する言語として知られている。咽頭音を区別する言語は他にもアブハズ語のブズィプ方言などが知られているが、ウビフ語は北西コーカサス語族の中でも特に咽頭音が多い[25]:150。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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