ウナス
Oenas, Onnos, Unis, Wenis
古代エジプト ファラオ
統治期間正確な期間は不明(紀元前24世紀中葉の15-30年程度)[注釈 1],エジプト第5王朝
前王ジェドカラー
次王テティ(第6王朝)
ファラオ名 (五重称号)
ホルス名: ウアジタウィ(Wadjtawy)[12][13]
W3?-t3.w(j)
二国の隆盛
または
二国のうちの堅固なもの[14]
ネブティ名(二女神名): Wadjemnebty[12][13]
W3?-m-nb.tj
二人の淑女を通じ勢いづく者
黄金のホルス名: Bik-nebw-Wadj
即位名: ウナス(Unas)[12][13]
wnjs
語義未詳
本質を見据える者[15] (UnasをAs-unと読んだ場合)
敏捷なる者 (女神ウヌト(英語版)の名)
確たる存在[16]
以下の様な表記例もある
誕生名: ウナス(Un(英語版)as[12])
Wnjs
語義未詳
本質を見据える者[15] (UnasをAs-unと読んだ場合)
敏捷なる者 (女神ウヌト(英語版)の名)
確たる存在[16]
配偶者Nebet(英語版)、Khenut(英語版)
子息Unas-ankh(真偽不詳)、Nebkauhor、Shepsespuptah(推定)
子女Hemetre Hemi、Khentkaues、Neferut、Nefertkaues Iku、Sesheshet Idut、イプト1世(英語版)(真偽不詳)
父ジェドカラー(推定)
母Setibhor(英語版)
埋葬地ウナスのピラミッド(英語版)
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ウナス、ウニス[17](英:Unas [?ju?n?s]、Wenis、Unis、ギリシャ語風表記:Oenas [?i?n?s]、Onnos、古代エジプト語:wnjs)はエジプト古王国第5王朝の9代目にして最後のファラオである。ジェドカラーの子であると考えられ、ジェドカラーの後を継いで紀元前24世紀中葉の15-30年間(紀元前2345年?紀元前2315年頃)を統治した。 ウナスの治世については詳しい事が伝わっていないが、当時のエジプト王朝は経済的に斜陽の状況であった。レバント沿岸部やヌビアとの交易を続けるかたわら、カナン南部にて戦闘が行われたとみられる。支配権の分散により、ウナスの治世中も王権は弱体化する一方であったと推測され、これが究極的には約200年後のエジプト古王国崩壊に繋がっていく。 ウナスはサッカラに自身のためのピラミッド
概要
ウナスの子は数人の女子がいた他、後継者とみなされていた一人ないし二人の男子がいたと推定される。紀元前3世紀のプトレマイオス朝に仕えた神官でありエジプト最初の歴史書を記したマネトは、第5王朝はウナスの死で終わったと述べている。ウナスの後を継いだテティは第6王朝の初代ファラオであり、その即位にあたっては少しばかり混乱が生じたとみられる。しかし考古学的史料に基づけば、当時のエジプト人達は前朝の滅亡を認識しておらず、第5王朝と第6王朝とは実際上の差がない可能性も高い。
ウナスの死にあたって確立された葬祭の儀式(英語版)は、古王国が終焉を迎えてもなお途絶えることなく、混乱の時代であるエジプト第1中間期にも続けられていたと考えられる。類似する儀式は更に後世の中王国時代(紀元前2050年頃?紀元前1650年頃)に至っても継続・復活がみられた。しかしそれでも、ウナスの墓所はアメンエムハト1世やセンウセレト1世(紀元前1990年頃?紀元前1930年頃)による資材目当ての部分的解体を免れることが出来なかった。
王家による取り扱いとは対照的に、ウナスはサッカラの土着神として信仰を集め、死後2000年近くが経った末期王朝時代 (紀元前664年?紀元前332年)に至っても崇拝されていたとみられる。 ウナスの実在を立証する文献史料として第一に挙げられるのは、彼の名が記されている新王国時代の三つの王名表である[18]。セティ1世治世時代(紀元前1290年?紀元前1279年)に制作されたアビドス王名表では、ウナスは33番目に記載されている。ラムセス2世治世時代(紀元前1279年?紀元前1213年)に作成された二つの王名表では、サッカラのタブレット
実在の立証
文献史料