ウズシオタロー
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ウズシオタロー

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品種アングロアラブ
性別
毛色栗毛
生誕1974年2月21日
死没2007年8月10日(33歳没)
父サトウタイシ
母マサヤング
母の父フルブルーム
生国 日本
宮崎県東諸県郡綾町
生産長友実男
馬主西迫嘉和
→福原勝美
→大内順子
調教師岡崎康夫(益田
競走成績
生涯成績250戦15勝
獲得賞金432万6000円
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ウズシオタローとは日本アングロアラブ競走馬である。益田競馬場(廃止)所属であった。目次

1 概要

2 血統表

3 脚注

3.1 注釈 

3.2 出典 


4 参考文献

5 外部リンク

概要

馬齢は原則として旧表記を用いる。

「タロー」という名前だが牝馬である[1]。当初は園田競馬場に入厩したもののデビューできず、益田競馬場に移籍して4歳となった1977年4月23日に競走馬としてデビュー(3着)。14歳となった1987年10月11日に現役を退くまでの11年間の間、実に250回にわたって競走に出走(15勝)し、同競馬場の誇るアイドル馬として親しまれた。その走破距離は326kmにもおよぶ。最終年は同年にデビューした吉岡牧子がおもに騎乗し、4月27日には4年4か月振りとなる勝利を挙げた[2]。引退レース(吉岡が騎乗し、8頭立ての7着)では「ウズシオタロー引退記念競走」という同馬の名前が冠されたほどであった[注 1]。レース直後に行われた[3]記念式典では、「鉄人」の愛称で知られたプロ野球選手衣笠祥雄からの祝電が紹介され[3]、その中で「うず潮の如く走りし鉄馬かな」というが贈られている。

出走回数250回は1962年以降の地方競馬平地競走としては長らく史上最多記録であったが[注 2]2007年8月11日高知競馬第4競走に出走したヒカルサザンクロスが251回の最多出走回数をマーク[4]して20年ぶりに記録が更新された。さらにその後、セニョールベストは通算409出走を記録した[5]。しかし、アングロアラブ競走馬の最多出走記録は現在もウズシオタローが保持している。

引退後は千葉県の湘南動物プロダクション(現:市原ぞうの国)で動物タレントとして活動し、また繁殖牝馬としてメジロムサシ産駒のアングロアラブのライトオスカーとの間に1989年に1頭の牝馬を産んだ。その後ファンの女性4人に引き取られ[7]北海道へ移動し、1991年から[7]は北海道白老郡白老町イーハトーヴ・オーシァンファームで余生を送っていたが、2007年8月10日に老衰で死亡した。33歳(現表記)だった[8]。唯一の産駒は、かつて在籍していた市原ぞうの国でタレント活動を行いながら、子孫を残している。
血統表

ウズシオタローの血統アラブ血量25.00%(血統表の出典)

アア サトウタイシ
1966 栗毛父の父サラ ヤマニンモアー
1957 黒鹿毛サラ *ヒンドスタンサラ Bois Roussel
サラ Sonibai
サラ トキノタカラサラ *プリメロ
サラ スターカツプ
父の母アラ 弟詠
1945 鹿毛アラ *イブンヂアド不明
不明
アラ 太陽アラ *エルワルド
アラ 師陽

サラ マサヤング
1965 栗毛母の父サラ *フルブルーム
1940 鹿毛サラ Hyperionサラ Gainsborough


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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