ウジヤ
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ウジヤ
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ユダ王

在位紀元前783年頃 - 紀元前742年頃

死去紀元前742年頃

埋葬 
エルサレム
配偶者エルシャ
子女ヨタム
王朝ダビデ朝
父親アマツヤ
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ウジヤは、ユダ王国の第10代の王である。名はヘブライ語で「主は私の力」の意味である。列王記[1]ではアザルヤ(意味は「主は助ける」)の名で記されるが同一人物。
目次

1 生涯

2 ウジヤの骨箱

3 参考文献

4 脚注

生涯

16歳で王となり、52年間統治した。マナセに次いで2番目に長い統治である。

ウジヤは、北イスラエルとの関係を修復し平和と協力に務めたため、ユダ王国は南と西に、北イスラエルは北と東にそれぞれ勢力を拡げていく事ができた。軍隊を再編成し、農業の発展にも力を入れ、繁栄を築いた。そのため、エルサレムの建築や商業活動、贅沢になった生活を預言者であるイザヤやホセアなどが非難している[2]

ウジヤは父アマツヤと同じように、主の目に適うことを行ったが、高き所を取り除くことをせず、そこで生贄を捧げたり、香を焚くことを廃止しなかった。

晩年、ウジヤはその強さゆえに傲慢になり、聖別された祭司のみに許されている行為である「祭壇で香を焚く行為」を自ら行なおうとしてイスラエルの神の怒りに触れ、らい病に撃たれて死ぬまで隔離された[3]
ウジヤの骨箱

1931年に「ウジヤの骨箱」がエルサレムから出土した。碑には「ユダの王ウジヤの骨をここに携え来る、開けるべからず」と記されている。これは、紀元1世紀にアグリッパ2世のエルサレム修理工事中、偶然ウジヤの墓を見つけ、骨を箱に入れて移したものであると見られている。
参考文献

「新聖書辞典」いのちのことば社、1985年

脚注^ 列王記U14章21節、15章1節など。
^ 『旧約聖書人名事典』ジョアン・コメイ著、東洋書林、1996年、82-83項より引用
^ 歴代志下(口語訳)#26:16-21










古代イスラエルの王
イスラエル王国

サウル前1000-前961 / イシュ・ボシェテ前1000 / ダビデ前1000-前962 / ソロモン前962-前922 / レハブアム前922
ユダ王国

レハブアム前922-前915 / アビヤム前915-前913 / アサ前913-前873 / ヨシャファト前873-前849 / ヨラム前849-前842 / アハズヤ前842 / アタルヤ前842-前837 / ヨアシュ前837-前800 / アマツヤ前800-前783 / ウジヤ前783-前742 / ヨタム前742-前735 / アハズ前735-前715 / ヒゼキヤ前715-前687 / マナセ前687-前642 / アモン前642-前640 / ヨシヤ前640-前609 / エホアハズ前609 / エホヤキム前609-前598 / エホヤキン前598 / ゼデキヤ前597-前587
北イスラエル王国

ヤロブアム1世前922-前901 / ナダブ前901-前900 / バシャ前900-前877 / エラ前877-前876 / ジムリ前876 / オムリ前876-前869 / アハブ前869-前850 / アハズヤ前850-前849 / ヨラム前849-前842 / イエフ前842-前815 / ヨアハズ前815-前801 / ヨアシュ前801-前786 / ヤロブアム2世前786-前746 / ゼカリヤ前746 / シャルム前745 / メナヘム前745-前738 / ペカフヤ前738-前737 / ペカ前737-前732 / ホセア前732-前722
ハスモン朝

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