ウゴウゴ・ルーガ
ジャンル子供向け番組、バラエティ番組
構成渡邊健一、高瀬真尚
下尾雅美、アサダアツシ
ディレクター石井浩二 ほか
演出福原伸治
出演者田嶋秀任
小出由華
ほか、#登場キャラクターも参照
オープニングテーマ曲参照
エンディングテーマ曲参照
製作
プロデューサー桜井郁子
西上均
制作フジテレビ
放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域 日本
⇒公式ウェブサイト
ウゴウゴ・ルーガ
放送期間1992年10月5日 - 1994年3月25日
放送時間放送時間参照
ウゴウゴ・ルーガ2号
放送期間1993年10月22日 - 1994年2月25日
放送時間金曜 19:00 - 19:30
放送分30分
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『ウゴウゴ・ルーガ』[注 1](UGO UGO LHUGA[1])は、一部フジテレビ系列局[注 2]ほかで放送されたフジテレビ制作による子供向けバラエティ番組である。制作局のフジテレビでは1992年10月5日から1994年3月25日にかけて放送された。「ウゴウゴ」「ウゴルー」[2]などと略されることがある他、新聞のテレビ欄では「ルーガ」と略される場合があった[3]。 2人の子役が扮した「ウゴウゴくん」と「ルーガちゃん」をメインに据え、当時としては珍しい3DCGで構成された、海外のポピュラー文化の影響を強く受けた原色基調のヴァーチャルスタジオや会話と同期してアニメーションするコミカルなCGキャラクターが登場し、内容は畳みかけるような数秒?数分間のコーナー、子供番組とは思えないシュールなギャグが連発し、時には番組スタッフに関する楽屋落ちや下ネタ、発言にピー音がかかる過激な内容もあった。番組の合言葉「おきらくごくらく」は流行語にもなった[4]。番組タイトルの「ウゴウゴ・ルーガ」は1993年の新語・流行語大賞で表現部門・銀賞を受賞している[5]。 当時の番組チーフディレクターによれば、純粋な子供番組として制作されたものの、その内容から視聴者には出勤・通学前の若者も多かったと言われている。「単なる子供番組にはせずラジカルにやりたかった。『自分たちが子供ならこういう番組が観たい』といった感じで、子供は実は割と大人だということを考えた上で、世の中の価値や人々の多様性を伝えたかった」といったことも話している[6]。また、番組オープニングには当時流行したボディコンギャルのCGが登場する[7]が、タイトルの「ウゴウゴルーガ」は、往年の大橋巨泉が当時の「ゴーゴーガール」を指した業界調のフレーズが由来であり、「イケイケギャル」を意識したものではなかったとのこと[8]。 メインに登場するCGキャラクターは世界的映像作家岩井俊雄のデザインによるもので、Amigaなどによって作成された。このほか、田中秀幸、秋元きつね、森川幸人
概要
なお、番組内では上記のコーナーだけではなく、キヨノサチコ作の絵本作品「ノンタン」シリーズをアニメ化した『ノンタンといっしょ』やパラッパラッパーなどのキャラクターデザインを手がけたロドニー・アラン・グリーンブラットの日本デビュー作品「ロドニー・ガイ」[注 3]などの外部の作家による作品も放送された。
1993年10月22日から1994年2月25日の金曜 19時 - 19時30分に生放送の『ウゴウゴルーガ2号』も放送され、ピチカート・ファイヴやコーネリアスが楽曲を提供した。日本のテレビ番組においてテレゴングのシステムをいち早く取り入れた。なお『2号』終了後は、19時30分開始の84分番組『金曜ファミリーランド』を、約1か月半の間19時開始の114分番組に拡大して4月15日開始の『快傑!ヘルパー』へと繋げた。 CG制作用パソコンのAmigaによる、先進的なCG表現で話題となった『TV's TV』や『アインシュタイン』のスタッフが制作を担当しており、当時珍しかったバーチャルスタジオを使用していた。さらに、日本で拡張現実(AR)を最初に実用化した番組シリーズである点も特筆に値する。放送当時はVRが第1次ブームを迎えていたとはいえ、人間の知覚の要求水準からすればコンピュータやセンサの性能が遥かに低く、単発の技術実験的なコンテンツが作られる程度であった。その状況下で、アテレコと同期してリアルタイムに制御されたCGキャラクターを合成し出演者と対話させる形式で、子供向けにシリーズ化されたテレビ番組を制作することは、世界的に見ても非常に先進的であった。CGキャラクターの操作には番組用に改造されたスーパーファミコンのコントローラが用いられた。 1993年4月5日 - 9日・同年8月17日 - 20日の本編枠に、当時では画期的なCG合成での生放送や、同年8月17日 - 20日 16時の生放送 午後の部「ウゴウゴルーガ ミュージアム オンエア」には板橋区立美術館にて入場客がその場で描いたCGを「作品」として展示する展覧会[9][3][10]を行い、そこをサテライトスタジオとして生中継するなど、メディアアートの実験の場としても大いに活用された。この番組で行われたCG表現に関する実験は、後の番組の基本フォーマットにも大きな影響を与えた。 1994年に、報道番組(『めざましテレビ』)を朝に据えたいというフジテレビの方針転換により番組終了が決定した。 プロデューサーの桜井郁子やディレクターの福原伸治らが当時を振り返るインタビューで語ることによれば、番組の終了は単なる外部的要因だけではなく、毎週のように試行錯誤を繰り返し、次々と新しい表現や技術に取り組まなければいけない強迫観念にスタッフが次第に迫られていったことを挙げている。
CG表現の実験場としての価値
番組の終了