ウクライナ_(ミサイル巡洋艦)
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コムソモーレツ
アドミラール・フロータ・ローボフ
ハルィチナー
ウクライナ

係留中のウクライナ(2021年7月25日)
艦歴
コムソモーレツ
Комсомолец
起工1984年8月29日 61コムナール記念工場
所属 ソ連海軍黒海艦隊
ロシア海軍黒海艦隊
アドミラール・フロータ・ローボフ
АдмирапBФлота Лобов
改称1985年3月23日
進水1990年8月11日
除籍1993年3月18日
ハルィチナー
Галичина
改称1993年12月17日
所属 ウクライナ海軍
ウクライナ
Укра?на
改称1998年2月17日
所属 ウクライナ海軍
要目
艦種ミサイル巡洋艦
艦型1164.1号計画「アトラーント」型(スラヴァ級)
工場番号2011
排水量基準排水量9500 t
満載排水量11530 t
全長192 m
全幅20.8 m
喫水8.4 m
機関ガスタービン混合機関
ガスタービンM-702 基 10000 馬力
ガスタービンM-8KF4 基 27500 馬力
推進2推進
速力最大速度32.5 kn
巡航速度18 kn
航続距離8070 /18 kn
乗員610 名
武装AK-130 130mm連装砲
(1,000発)2 基
AK-630M 30mmCIWS
(8,000発)2 基
B-204 VLS
S-300F フォールトSAMシステム用; 5V55RMミサイル×8発)8基
ZIF-122 ミサイル発射機
4K33 PDMS用; 9M33MA2ミサイル×20発2 基
P-1000「ヴルカーン」連装艦対艦ミサイル発射機
(4K80「バザーリト」ミサイル×2発)8 基
RBU-6000 12連装対潜ロケット発射機
(RGB-60ロケット×72発)2 基
533 mm5連装魚雷発射管PTA-53-11342 基
戦闘情報指揮装置「レソループ1164」
レーダー対空捜索レーダーMR-600「ヴォスホート」1 基
対空捜索レーダーMR-500「クリーヴェル」1 基
汎用捜索レーダーMR-750「フレガートMA」1 基
航法レーダー「ヴァイガーチ」3 基
ソナー「プラチーナ」|1 式
電子戦装備妨害装置MRP-3「コリツォー」1 式
「グルズーフA/B」1 式
MP-150「スタールト」1 式
MP-152「オグラーダ」1 式
16連装デコイ発射機PK-2 (AIF-121)2 基
200 発
射撃管制装置「アルゴーン1164」(対艦ミサイル用)1 基
「コルヴェート5」(対艦ミサイル指令誘導用)2 基
「ヴォルナー」(「フォールト」用)1 基
4R33(「オサーMA2」用)2 基
MR-184「レーフ218M」(130 mm砲用)1 基
MR-123「ヴィーンペル」(CIWS用)3 基
光学電子装置MT-452 基
通信装備「タイフーン2」1 式
「ツナミBM」1 式
搭載機Ka-25TsまたはKa-27PL1 機

ウクライナ(ウクライナ語:Укра?наウクライィーナ)は、ウクライナミサイル巡洋艦(Ракетний крейсер)である。1164.1号計画「アトラーント」型ミサイル巡洋艦の4番艦。ソ連が起工した最後の巡洋艦でもある。艦名を「ヴィーリナ・ウクライナ(ウクライナ語:В?льна Укра?на、「自由なウクライナ」の意)」とされることがあるが、艦尾には「Укра?на(ウクライナ)」のみ書かれている。[1]
概要
起工

巡洋艦ウクライナは、ソ連時代にソ連海軍向けの巡洋艦として計画された。当初の艦名は、ロシア語で「コムソモール員」という意味のコムソモーレツ(Комсомолецカムサモーリェツ)であった。

1980年6月9日付けで海軍に登録、1984年8月29日にはウクライナ共和国ムィコラーイウの61コムナール記念工場(第445海軍工廠、現・ムィコラーイウ造船所(英語版、ロシア語版))で起工された。工場番号は、2011であった。

その後、1985年3月23日にはアドミラール・フロータ・ローボフ(АдмирапBФлота Лобовアドミラール・フロータ・ローバフ)に改称された。新しい艦名は、「海軍上級大将ローボフ(ロシア語版、英語版)」という意味である。ローボフは1990年8月11日進水、しかしその翌年ソ連は崩壊しウクライナは独立した。

当初はそのまま解体予定と報道されたが、明くる年の1992年には93 - 94年に竣工予定と報道された。このときの艤装完成度は70 %とされる。しかし、ローボフは結局1994年までには竣工しなかった。

ローボフは、他の姉妹艦が3年ないし4年で進水しているのに対し、起工から進水までに6年かかっている。これは当時のソ連の財政状況の煽りを受けた可能性が指摘されている。
ウクライナへの編入

1993年3月18日には、艦の完成度は75 %であった。この時点で、独立ウクライナはこの巡洋艦を自国艦として完成させる計画であった。巡洋艦の所有権争いは最終的にウクライナ海軍に帰属するということで決着し、この日付でロシア海軍を除籍され、10月1日には構成員が解体された。正式にウクライナに所有権の移ることとなった巡洋艦は、ハルィチナー(Галичинаハルィチナー)と改称された。新たな艦名は、西ウクライナ伝統的地域名称に由来している。

しかし、1990年代のウクライナ経済は極めて悪化し、巡洋艦の建造どころではなかった。1998年2月17日には、艦名はその名も将にウクライナと改められた。これは、当時のレオニード・クチマ大統領がウクライナ海軍への編入を公式に決断したためであった。

ウクライナ海軍は2001年竣工予定として、ウクライナの艤装を進めた。しかし予算不足から竣工できず、95 %の最終艤装状態で放置された。2005年9月5日には、ウクライナ政府第385指令により巡洋艦はウクライナ国防省の管理下に入った。
茨の道

その後、ウクライナは巡洋艦を中華人民共和国へ売却する計画を立てていたが、アメリカ政府がNATO加盟や経済援助の見返りとして中国への軍事技術供給停止をウクライナ政府に要請、結局スラヴァ級ミサイル巡洋艦の中国輸出は中止された。

以前の所有国であるロシアも当初は再取得に意欲を見せていたが、2005年5月、ロシア国防省の海上兵器局長アナトーリー・シュレモフ少将は「戦術的及び経済的な根拠に基付く兵器発展の条件下において、巡洋艦と戦艦は存在する権利を有していない」と発言し、スラヴァ級4番艦に関しても「これは、構想に関しても、構造に関しても、前世紀1980年代の艦である」と評し、同艦をロシアが取得する意図を完全に否定した。
現況

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2007年初には潜水艦ザポリージャとともに巡洋艦ウクライナは売却されることが決定され、2007年2月、ロシアとウクライナは共同で巡洋艦を完成、輸出するために協力することで合意した、と報じられた。潜在的な売り込み先として、インドと中国の2カ国が考慮されている[要出典]。

ウクライナ海軍は、保有するフリゲートを退役させ巡洋艦の建造を中止する傍ら中・小型のコルベットの建造に力を入れており、今後の主力艦としてハイドゥーク21型コルベットを提示している。大型フリゲートである22350号計画型を準備しているロシア海軍にとっても、艦船の小型万能化を進めるウクライナ海軍にとっても、もはや新たなミサイル巡洋艦は魅力あるものとは映らなくなっている。

2009年3月18日、ウクライナのティモシェンコ内閣は、内閣指令第307号「巡洋艦ウクライナの購入と就役の費用に関して」を発令、巡洋艦ウクライナを2009年中に就役させる事を決定したが、2009年中に竣工することは無かった。


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