コムソモーレツ
アドミラール・フロータ・ローボフ
ハルィチナー
ウクライナ
係留中のウクライナ(2021年7月25日)
艦歴
コムソモーレツ
Комсомолец
起工1984年8月29日 61コムナール記念工場
ウクライナ(ウクライナ語:Укра?наウクライィーナ)は、ウクライナのミサイル巡洋艦(Ракетний крейсер)である。1164.1号計画「アトラーント」型ミサイル巡洋艦の4番艦。ソ連が起工した最後の巡洋艦でもある。艦名を「ヴィーリナ・ウクライナ(ウクライナ語:В?льна Укра?на、「自由なウクライナ」の意)」とされることがあるが、艦尾には「Укра?на(ウクライナ)」のみ書かれている。[1] 巡洋艦ウクライナは、ソ連時代にソ連海軍向けの巡洋艦として計画された。当初の艦名は、ロシア語で「コムソモール員」という意味のコムソモーレツ(Комсомолецカムサモーリェツ)であった。 1980年6月9日付けで海軍に登録、1984年8月29日にはウクライナ共和国・ムィコラーイウの61コムナール記念工場(第445海軍工廠、現・ムィコラーイウ造船所
概要
起工
その後、1985年3月23日にはアドミラール・フロータ・ローボフ(АдмирапBФлота Лобовアドミラール・フロータ・ローバフ)に改称された。新しい艦名は、「海軍上級大将ローボフ(ロシア語版、英語版)」という意味である。ローボフは1990年8月11日に進水、しかしその翌年ソ連は崩壊しウクライナは独立した。
当初はそのまま解体予定と報道されたが、明くる年の1992年には93 - 94年に竣工予定と報道された。このときの艤装完成度は70 %とされる。しかし、ローボフは結局1994年までには竣工しなかった。
ローボフは、他の姉妹艦が3年ないし4年で進水しているのに対し、起工から進水までに6年かかっている。これは当時のソ連の財政状況の煽りを受けた可能性が指摘されている。 1993年3月18日には、艦の完成度は75 %であった。この時点で、独立ウクライナはこの巡洋艦を自国艦として完成させる計画であった。巡洋艦の所有権争いは最終的にウクライナ海軍に帰属するということで決着し、この日付でロシア海軍を除籍され、10月1日には構成員が解体された。正式にウクライナに所有権の移ることとなった巡洋艦は、ハルィチナー(Галичинаハルィチナー)と改称された。新たな艦名は、西ウクライナの伝統的地域名称に由来している。 しかし、1990年代のウクライナ経済は極めて悪化し、巡洋艦の建造どころではなかった。1998年2月17日には、艦名はその名も将にウクライナと改められた。これは、当時のレオニード・クチマ大統領がウクライナ海軍への編入を公式に決断したためであった。 ウクライナ海軍は2001年竣工予定として、ウクライナの艤装を進めた。しかし予算不足から竣工できず、95 %の最終艤装状態で放置された。2005年9月5日には、ウクライナ政府第385指令により巡洋艦はウクライナ国防省の管理下に入った。 その後、ウクライナは巡洋艦を中華人民共和国へ売却する計画を立てていたが、アメリカ政府がNATO加盟や経済援助の見返りとして中国への軍事技術供給停止をウクライナ政府に要請、結局スラヴァ級ミサイル巡洋艦の中国輸出は中止された。 以前の所有国であるロシアも当初は再取得に意欲を見せていたが、2005年5月、ロシア国防省の海上兵器局長アナトーリー・シュレモフ @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2007年初には潜水艦ザポリージャとともに巡洋艦ウクライナは売却されることが決定され、2007年2月、ロシアとウクライナは共同で巡洋艦を完成、輸出するために協力することで合意した、と報じられた。潜在的な売り込み先として、インドと中国の2カ国が考慮されている[要出典]。 ウクライナ海軍は、保有するフリゲートを退役させ巡洋艦の建造を中止する傍ら中・小型のコルベットの建造に力を入れており、今後の主力艦としてハイドゥーク21型コルベット 2009年3月18日、ウクライナのティモシェンコ内閣は、内閣指令第307号「巡洋艦ウクライナの購入と就役の費用に関して」を発令、巡洋艦ウクライナを2009年中に就役させる事を決定したが、2009年中に竣工することは無かった。
ウクライナへの編入
茨の道
現況