ウォール街を占拠せよ
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デモ隊拠点のズコッティ公園にて案内をする人(2011年9月17日)デモ3日目、ズコッティ公園を警備するニューヨーク市警察(2011年9月19日)2011年10月1日に行われたデモの様子

ウォール街を占拠せよ(ウォールストリートをせんきょせよ、: Occupy Wall Street)とは、2011年9月17日からアメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンウォール街において発生した、アメリカ経済界、政界に対する一連の抗議運動を主催する団体名、またはその合言葉である。運動自体は半年以上続いたが、大規模なものは開始後約2ヶ月ほどで沈静化した。
背景

2008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが、連邦裁判所連邦倒産法第11章の適用を申請し、リーマン・ショックが発生して以来、アメリカ合衆国だけでなく、世界中が世界金融危機の不景気に喘いできた。特にアメリカの19歳から20代前半の若者(ハイスクール卒、大学卒)の4割は職業がなく[1]、それに対し有効な対策を打てないアメリカ合衆国連邦政府に対する(主に中流層が抱く)不満が、この「Occupy Wall Street」のデモ呼びかけに賛同させたとされる[2]

2010年末より、アラブの春と呼ばれるSNSを発端とする連鎖的な市民革命が中東各地で発生し、2011年5月にはスペインで、のちにインディグナドス運動(英語版)と呼ばれる組織的かつ大規模な占拠デモが発生していた[3]。2011年9月16日にはニューヨーク市長マイケル・ブルームバーグがラジオ番組に出演し、悪化する若者の雇用状況を放置すれば、カイロマドリードと同様にニューヨークでも暴動が起きかねないと警告するなど、溜まった不満の向かい先を心配する声が挙がっていた[4]
主張アメリカ合衆国での収入分布の不平等を示すグラフ[5][6]。資産の不平等と収入の不平等性は、占領デモの参加者たちの中心的な懸念である[7][8][9] 米議会予算局のデータによると、1980年には上位1%が全収入の9.1%を稼いでいたのに対し、2006年にはその比率は18.8%まで増加している[10]

公式サイトでは『ワシントンD.C.の議員に対し、カネの影響力をなくすための委員会を設置するよう』、バラク・オバマ大統領に対して要求しているものである[11]。その他、デモ活動では当初、以下のような主張が掲げられた。

政府による金融機関救済への批判[2]

富裕層への優遇措置への批判[2]

グラス・スティーガル法改正による金融規制の強化[2]

高頻度取引の規制[2]

デモ参加者数が増えるに従って要求も多様化し、高額の家賃や学費に対する批判、高い失業率や年金問題の改善要求[12]地球温暖化防止[13]などが加わっていった。
We are the 99%

"We are the 99%" は、ウォール街を占領せよの参加者たちのスローガンである。

1970年代から、アメリカ合衆国において上位1パーセントの富裕層が所有する資産が増加し続けている状況を表している。米議会予算局によると1979年から2007年の間に、アメリカの上位1パーセントの収入は、平均すると275パーセント増加した。同じ期間に、60パーセントを占める中間所得層の収入の増加は40パーセントに、下位20パーセントの最低所得層では18パーセントの増加に留まっている[14] 。1979年と比較して、下位90パーセントを占める世帯の平均税引き前収入は900ドル低下しているが、トップ1パーセントの収入は、合衆国の税制が累進的でないため、700000ドル以上増加している。1992年から2007年にかけて、合衆国における高額所得者上位400名の収入はおよそ4倍上昇していながら、平均税率は37パーセント低下している[15]

2007年において、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセントを所有しており、次の19パーセントの人口が50.5パーセントを所有している。詳細は「We are the 99%」を参照
経過詳細は「ウォール街を占拠せよの年表」を参照
発端

2011年7月、カナダの雑誌アドバスターズの創始者カレ・ラースンは金融機関や政界に対して抗議の意志を表明するために、金融界の象徴といえるウォール街での行進やニューヨーク証券取引所前での座り込みなどを行い、「ウォール街を数ヶ月占拠する」[16]というデモ活動を呼びかけた。そのデモ活動の賛同者、参加者は2万人を目標とし、ラースンは、その運動の告知のためウェブサイトを開設し、TwitterSNSサイトなどを通じて活動内容を広めていった[2]。ラースン自身は、当初は保守派によるティーパーティー運動に対抗する意図があったと述べている[1]

ラースンはこのデモ活動「Occupy Wall Street」がアメリカだけでなく、チュニジアから始まった抗議活動が北アフリカに広まったアラブの春と同様、世界中で起こるべきであり、また2011年8月に起こったイギリス暴動とは違う、平和的な抗議活動にするべきという考えだとされる[17]
2011年9月

9月17日、デモの趣旨に賛同する若者を中心とした1000人ほど[16]の集団がウォール街において「ウォール街を占拠せよ」(Occupy Wall Street)をスローガンに、ウォール街近くにあるズコッティ公園にて集会を行い[2]ウォール街を行進、また路上に座り込み、午後にはアメリカ金融界を象徴するブル像周辺でデモを実施した。

これに対してニューヨーク市警察はデモ隊を排除し[18]抑えこみを図り、バンク・オブ・アメリカが入るビルに立ち入ろうとした二人が逮捕され、顔が見えないマスクをつけていた4人組が逮捕されるなど(複数人でこのような行為をすることは違法となる)、19日までに7人が逮捕された[16]。警察による規制もあり、数百人程度の規模となったが「Occupy Wall Street」のデモ活動そのものは持続した。


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