ウォール街を占拠せよの年表
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ウォール街を占拠せよ > ウォール街を占拠せよの年表抗議運動12日目の参加者:サンフランシスコ・クロニクルのゼニー・エイブラハムは10月1日に「このゲーテ・ガールが運動開始の合図になる。」と述べた[1]

本項ではウォール街を占拠せよ英語: Occupy Wall Street、もしくはOWS)と呼ばれる2011年9月17日(土曜日)[2]から本格的に始まったアメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンフィナンシャル・ディストリクトにあるウォール街の占拠(英語版)行為と現在続いているデモ運動[3]の経過について扱う。
出来事に関する経過

この年表ではウォール街を占拠せよをOWS(Occupy Wall Street)と表記する。時刻表記は現地時間。

2011年9月17日以前

2011年6月9日 – カナダの
反消費主義雑誌「アドバスターズ」がoccupywallstreet.orgというドメイン名を登録[4]

7月13日 – アドバスターズがウォール街での平和的なデモ運動を提案する[5]

8月2日 – 債務限度のデッドラインだった8月2日深夜[6](2011年アメリカ合衆国債務危機(英語版)参照)に迫った時、ニューヨーカーズ・アゲンスト・バゲット・カッツ("New Yorkers Against Budget Cuts) [7]と名乗るグループがOWSの戦略会議を行なっている他の団体とともに「総会("General Assembly")」に合流することを決めた。彼らは午前4時半に抗議運動のため、チャージング・ブルに集合した。その後、これら2団体は9月17日に行うイベントを計画することになった[8]

8月23日 – ハックティビズム集団であるアノニマスが抗議運動への参加を呼びかけた[9]

9月2011年9月3日、夜のトンプキンス・スクエアにてウォール街占拠のための計画が練られた9月18日(2日目)の群衆9月30日(金曜日・14日目)、ニューヨーク市警察(NYPD)本部の前で警察の暴力に抗議する参加者

9月17日(1日目)– ウォール街占拠行動の初日。推定1,000人が集まった[10]ニューヨーク市警察の警官は参加者にテント設置の禁止と徘回(英語版)に関するルールの告知を行った。参加者の多くはウォール街を歩き回った。ロザンヌ・バーが参加者に対してデモ運動初日にわたって演説を行った[11]

9月19日(3日目)– 株式市場が開く日。最初に抗議運動を詳しく取材したジャーナリストはカレントTV(英語版)のキース・オルバーマンだった。2日後、オルバーマンは「なぜ主なニュース番組でこの抗議運動が取り上げられないのか?もしこれがティーパーティー運動によるものだったら毎日トップで取り上げられているだろう。」とOWSを報道しない主要メディアを批判している[12]。以降、オルバーマンは連日抗議運動を取材し、参加者や周囲の人達にインタビューをしている。やがて主要メディアが報道するようになり[13]、OWSは多彩な情報源をもとに主要メディアを通して注目を集めるようになった[14]

9月20日(4日目)? 仮装パーティーや娯楽目的以外でのマスク着用で集まることを禁じた1845年制定の法律に基づき警察がマスクを被った抗議参加者を逮捕した[15]

9月22日(6日目)– トロイ・デービス(英語版)の死刑執行に抗議する約2,000人の群衆がユニオンスクエアからウォール街へ行進し、4人のアフリカ系アメリカ人(ニューヨーク市立大学の2人とマルコムX・グラスルーツ・ムーブメント("Malcolm X Grassroots Movement)の2人)が逮捕されたと報道された[16]

9月23日(7日目)– ズコッティ公園は通りを挟んで向かいにあるニューヨーク市の金融拠点であるワン・リバティ・プラザ(英語版)にちなんで「リバティ・プラザ(Liberty Plaza)」と呼ばれるようになった[17]コルベア・レポー[18]が参加者や抗議運動について報じているガーディアン[19]ニューヨーク・タイムズを含む主要紙を風刺する放送をした[20]

9月24日(8日目)– 住宅地区への行進でいくつかの通りを使えなくした容疑で[21]、少なくとも80人の参加者が逮捕された[22]。 その後、動画がインターネット上で配信され、若い女性が警察官に催涙スプレーをかけられる場面が特に注目を集めた[23]

9月25日(9日目)– YouTubeにて午後4時半頃にハックティビズム集団「アノニマス」が動画をアップロードした。ニューヨーク市警察(NYPD)に対し「36時間以内にNYPDによる残虐な行為を確認したら君たちをインターネット上から消去し、電波を通して参加者の声を聞いてもらう。」と脅迫する内容だった[24]

9月26日(10日目)– 24日(8日目)に参加者の若い女性に催涙スプレーをかけた警察官の名前が判明した。OWSは、催涙スプレー事件は参加者による挑発無しで起こったことであるとして、当該警察官の収監とレイモンド・ケリー(英語版)警察委員長の辞任を要求した[25][26]。一方、ノーム・チョムスキーがOWS参加者に対して強く支持する旨のメッセージを送ったと報じられた[27]。夕方、映画監督のマイケル・ムーアがリバティ・プラザで演説を行った[28]

9月27日(11日目)– OWSの午後の行進は、ウォール街では終了せず、週5日制配達が郵便システムを酷く傷つけ、大きな失業を生むと多くが信じていると抗議する、郵便労働者達による集会でもって終了した。[29][30]


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