ウォール・オブ・デス (Wall of Death)、モータードローム (motordrome)、サイロドローム (silodrome)[1]、あるいは、インドにおいてウェル・オブ・デス (Well of Death) ないし マウト・カ・クアー (Maut ka Kuaa) と称される、謝肉祭などの祭の余興(英語版)は、サイロや樽のような形状で、厚板(英語版)で組んだ直径20 - 36フィート (6.1 - 11.0 m)程度の大きな木製の円筒の中で、オートバイや小型車両が摩擦[2]や遠心力を利用して垂直の壁を走行しながら、ライダー(運転手)が曲芸を見せるスタント。
日本では、オートバイサーカスと称して興行されている。4つのオートバイの同時レース。2017年、ドイツで撮影。
観衆は、円筒の上部から、中を見下ろす。ライダーたちは、円筒の底の中央からスタートし、底に近い傾斜のついた部分を登りながら、やがて床と平行な水平状態での走行が可能になるまでスピードを上げ、通常は反時計回りに周回する(この技の物理的な説明については、バンク・ターン(英語版)や遠心力を参照)。
アメリカ合衆国1920年代に、ヘイガーズ・ウォール・オブ・デス (Hager's Wall of Death) で活用した女性ライダー、ヘイゼル・ワトキンス (Hazel Watkins)。
1900年代始めのアメリカ合衆国におけるオートバイのボードトラックレース(英語版)(モータードローム)から直接派生したもので、最初の見世物としてのモータードロームは、1911年にニューヨークのコニーアイランドの遊園地に登場した。翌年には、各地を巡業する移動遊園地に、移動可能なトラックを設ける見世物が登場し始めた。1915年には、垂直の壁面を備えた最初のサイロドロームが登場し、程なくしてウォール・オブ・デスとも称されるようになったが、そのように呼ばれた最初の見世物は、ニューヨーク州バッファローで興行していたブリッドソン・グリーン (Bridson Greene) の一座だった[3]。また、直立した壁で囲まれたサイロ状の走路ではなかったが、1915年のサンフランシスコ万国博覧会に出展された大規模なモータードロームの走路の一部には、頂頭部が垂直に直立した部分が組み込まれており、オートバイだけでなく、自動車によっても走行された[4]。
当時、最も広く使用されていたのは、第一世代のインディアン・スカウト(英語版)のモデル(1928年以前)で、排気量は37立法インチ(およそ600cc)であった。この見世物は、アメリカ合衆国における、屋外興行の事業にとって重要な柱の一つとなり、1930年代には全盛期を迎え、百を超えるモータードロームが、移動遊園地や、通常の遊園地で興行していた。
アメリカ合衆国では、アメリカン・モーター・ドローム・カンパニー (the American Motor Drome Company) が1920年代製のビンテージのインディアン・スカウトを数台用いて、全盛期の様子を再現している。アメリカン・モーター・ドローム・カンパニーは、スタージス・モーターサイクルの殿堂 (the Sturgis Motorcycle Hall of Fame) に入ったライダーを2人擁している唯一の団体であり、ジェイ・ライトニン (Jay Lightnin') が2014年に、サマンサ・モーガン (Samantha Morgan) が2006年に殿堂入りを果たしている。2015年、インディアン・モーターサイクル社 (the Indian Motorcycle company) は、新モデルのインディアン・スカウトのお披露目の場にアメリカン・モーター・ドローム・カンパニーを選び、通常のショーで使用されている1926年製と1927年製のモデルとともに、新モデルを壁面走行させた。アメリカ合衆国における最新のウォール・オブ・デスのショーは、ワイルド・ホイールズ・スリル・アリーナ (Wild Wheels Thrill Arena) で、伝統的なカーニバル・ミッドウェイ・ショーズ (the Carnival Midway Shows) のスタイルで開催されている。 この見世物は、イギリスでも人気を博し、様々な催しの際に披露されるようになった。 イギリスにおける最初のウォール・オブ・デスは、1929年6月にサウスエンド=オン=シーにあった世界最古の遊園地のひとつカーサル
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