ウォール・オブ・デス_(曲芸)
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典型的な会場の外観「Wild Wheels Thrill Arena」。2016年、アメリカ合衆国で撮影。曲乗りを見せるライダーが近くを通るのを見る観衆。2009年、イギリスで撮影。

ウォール・オブ・デス (Wall of Death)、モータードローム (motordrome)、サイロドローム (silodrome)[1]、あるいは、インドにおいてウェル・オブ・デス (Well of Death) ないし マウト・カ・クアー (Maut ka Kuaa) と称される、謝肉祭などのの余興(英語版)は、サイロのような形状で、厚板(英語版)で組んだ直径20 - 36フィート (6.1 - 11.0 m)程度の大きな木製の円筒の中で、オートバイや小型車両が摩擦[2]遠心力を利用して垂直の壁を走行しながら、ライダー(運転手)が曲芸を見せるスタント

日本では、オートバイサーカスと称して興行されている。4つのオートバイの同時レース。2017年、ドイツで撮影。

観衆は、円筒の上部から、中を見下ろす。ライダーたちは、円筒の底の中央からスタートし、底に近い傾斜のついた部分を登りながら、やがて床と平行な水平状態での走行が可能になるまでスピードを上げ、通常は反時計回りに周回する(この技の物理的な説明については、バンク・ターン(英語版)や遠心力を参照)。
アメリカ合衆国1920年代に、ヘイガーズ・ウォール・オブ・デス (Hager's Wall of Death) で活用した女性ライダー、ヘイゼル・ワトキンス (Hazel Watkins)。

1900年代始めのアメリカ合衆国におけるオートバイのボードトラックレース(英語版)(モータードローム)から直接派生したもので、最初の見世物としてのモータードロームは、1911年ニューヨークコニーアイランドの遊園地に登場した。翌年には、各地を巡業する移動遊園地に、移動可能なトラックを設ける見世物が登場し始めた。1915年には、垂直の壁面を備えた最初のサイロドロームが登場し、程なくしてウォール・オブ・デスとも称されるようになったが、そのように呼ばれた最初の見世物は、ニューヨーク州バッファローで興行していたブリッドソン・グリーン (Bridson Greene) の一座だった[3]。また、直立した壁で囲まれたサイロ状の走路ではなかったが、1915年サンフランシスコ万国博覧会に出展された大規模なモータードロームの走路の一部には、頂頭部が垂直に直立した部分が組み込まれており、オートバイだけでなく、自動車によっても走行された[4]

当時、最も広く使用されていたのは、第一世代のインディアン・スカウト(英語版)のモデル(1928年以前)で、排気量は37立法インチ(およそ600cc)であった。この見世物は、アメリカ合衆国における、屋外興行の事業にとって重要な柱の一つとなり、1930年代には全盛期を迎え、百を超えるモータードロームが、移動遊園地や、通常の遊園地で興行していた。

アメリカ合衆国では、アメリカン・モーター・ドローム・カンパニー (the American Motor Drome Company) が1920年代製のビンテージのインディアン・スカウトを数台用いて、全盛期の様子を再現している。アメリカン・モーター・ドローム・カンパニーは、スタージス・モーターサイクルの殿堂 (the Sturgis Motorcycle Hall of Fame) に入ったライダーを2人擁している唯一の団体であり、ジェイ・ライトニン (Jay Lightnin') が2014年に、サマンサ・モーガン (Samantha Morgan) が2006年に殿堂入りを果たしている。2015年、インディアン・モーターサイクル社 (the Indian Motorcycle company) は、新モデルのインディアン・スカウトのお披露目の場にアメリカン・モーター・ドローム・カンパニーを選び、通常のショーで使用されている1926年製と1927年製のモデルとともに、新モデルを壁面走行させた。アメリカ合衆国における最新のウォール・オブ・デスのショーは、ワイルド・ホイールズ・スリル・アリーナ (Wild Wheels Thrill Arena) で、伝統的なカーニバル・ミッドウェイ・ショーズ (the Carnival Midway Shows) のスタイルで開催されている。
イギリス

この見世物は、イギリスでも人気を博し、様々な催しの際に披露されるようになった。

イギリスにおける最初のウォール・オブ・デスは、1929年6月にサウスエンド=オン=シーにあった世界最古の遊園地のひとつカーサル(英語版)に登場し、高さ20フィート (6.1 m) の木製の壁をバイクが走った。最初のライダーとなったのは、南アフリカ連邦でショーをしていたところをマルコム・キャンベルに見出されたビリーとマージョリーのウォード夫妻 (Billy and Marjorie Ward) であった。イギリスでは、カーサルとジョージ・"トルネード"・スミス (George 'Tornado' Smith) が、この見世物の代名詞となった。1930年代半ばには、50ほどの団体が全国で興行しており、アーサー・ブラノン (Arthur Brannon) のようなライダーが登場し、サイドカーに動物を乗せて走行するといった芸も見せるようになって、雌ライオンを乗せて走ったこともあったが、第二次世界大戦の勃発によってこうした見世物はいったん休止に追い込まれた。戦後に、再開した団体は少数であったが、トッド・ファミリー・ウォール・オブ・デス (the Todd Family Wall of Death) は、1951年のフェスティバル・オブ・ブリテン(英語版)にも登場し、フランク・シニア (Frank Senior)、ジョージ (George)、ジャック (Jack)、ボブ (Bob)、フランク・ジュニア (Frank Junior) らが出演した。この興行には女性ライダーが参加することもあり、イングランド初の女性ライダーと考えられているグラディス・サッター (Gladys Soutter) や、遅れて加わったその妹ウィニフレッド(ウィン)・サッター (Winniefred (Wyn ) Soutter) が出演し、後者は後に同僚ライダーであったジョージ・トッドと結婚した。女性ライダーたちはその後も現在まで活動し続けている[5][6]

しかし、2000年代には、ごく少数の団体が興行するだけとなっており、「ザ・デモン・ドローム (The Demon Drome)」[7]、「メッシャムズ・ウォール・オブ・デス (Messhams Wall of Death)」、「ケン・フォックス・トゥループ (Ken Fox Troupe)」が知られている[8]。これらの団体は、1920年代以来使用され続けている、オリジナルのインディアンのバイクを使用している。

2016年3月28日マン島TTレースでも活躍したレーサー、ガイ・マーティン(英語版)は、ウォール・オブ・デスの世界記録を樹立した。マーティンは、イギリスのテレビ局チャンネル4で放送された『Guy Martin's Wall of Death』という番組の生放送中に、78.150 mph (125.770 km/h)の速度に達した。
インド

インドでは、この見世物はウェル・オブ・デス(the Well of Death、ヒンディー語: ??? ?? ???? (maut k? ku?m?)、パンジャーブ語: ??? ?? ??? (maut d? kh?h))とも呼ばれ、全国各地の様々なメラ(英語版)(フェア)で興行されている[9]。バイクのほかに、自動車などが走ることもあり、例えば2005年以来アーディラーバードで定期的に興行されているもので披露されている[10]

自動車が走る場合、ショーは、厚板で組まれた、25フィート (7.6 m) ほどの高さがある直径30フィート (9.1 m) 以上の仮設の円筒で行われる。観衆は円筒の上部の周囲に設けられたプラットフォーム上から、バイクや自動車が走る円筒の中を見下ろす[11][12][13]
日本

2016年現在、日本では、札幌市に拠点を置くワールドオートバイサーカスが、北海道を中心に「オートバイサーカス」という名称でウォール・オブ・デスの興行を行っているのが唯一の事例とされる[14]。使用するコースの大きさは、高さ4メートル、直径9メートルで、宮大工が製作したものである[15][16]。この興行は、かつてのキグレサーカスの流れを汲むものとされている[17]

ワールドオートバイサーカスについては、小林三旅が制作したドキュメンタリーが、2013年にDVDで発表されている[16]


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