ウォータールー駅
London Waterloo station
上空から テムズ川南岸に位置する
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ウォータールー駅セントラル・ロンドンの地図上でのウォータールー駅の位置
所在地ランベス SE1 8SW
行政区ランベス特別区
運営ナショナル・レール
路線サウス・ウェスタン本線
ロンドン・ウォータールー駅 (ロンドン・ウォータールーえき、London Waterloo station) は、ロンドンのサウス・バンクに近いランベス特別区にある主要な複合ターミナル駅である。イギリス最大規模の鉄道駅であり、乗降客数も最大である。
概要大時計
当駅を発着するナショナル・レールの列車はイングランド南西部方面に向けたものであり、サウス・ウェスタン・レールウェイ(英語版)によって運行されている。これに加え、ロンドン地下鉄ノーザン線、ジュビリー線、ベーカールー線、ウォータールー&シティー線が発着する地下鉄駅と、サウスイースタンが運行するイングランド南東部方面の列車が発着するウォータールー・イースト駅が隣接している。
メインコンコースの中央部には、4面の大時計がぶら下がっており、この「ウォータールー駅の時計の下」は、伝統的に利用客の待ち合わせ場所となっている。
開業時の駅名は「ウォータールー橋駅」で、駅北側のテムズ川に1817年に架けられ、ワーテルローの戦い(1815年、英語読みがウォータールー)の勝利を記念して命名されたウォータールー橋にちなんでいる。ウォータールー駅への改名は1886年に行われた。
パリやブリュッセルへの国際列車であるユーロスターは、1994年の運行開始から2007年のセント・パンクラス駅への移転まで、当駅に併設されたウォータールー国際駅(英語版)をロンドン側のターミナル駅としていた。
ウォータールー駅の近くには、1853年から1941年まで、ブルックウッド墓地(英語版)への直通路線であるロンドン・ネクロポリス鉄道(英語版)の始発駅、ロンドン・ネクロポリス駅(英語版)が存在し、生きている旅客だけでなく、棺の輸送をも請け負っていた。この駅は空襲により破壊されそのまま廃止されたが、棺の輸送はウォータールー駅を利用してしばらくの間続けられた。
接続路線
ナショナル・レール
ウォータールー駅(サウス・ウェスタン・レールウェイ(英語版)運行)
サウス・ウェスタン本線(英語版)
ウォータールー - レディング線
ウォータールー・イースト駅(サウスイースタン運行)
サウス・イースタン本線(英語版)
ロンドン地下鉄
ウォータールー地下鉄駅
ノーザン線
ジュビリー線
ベーカールー線
ウォータールー&シティー線
歴史ウォータールー駅の表玄関であるヴィクトリー・アーチ
1848年7月11日にロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)(L&SWR) のウォータールー橋駅として開業した。同社はシティ・オブ・ロンドンまで路線を延ばす計画を持っていたため、駅の構造は通過式であり、暫定的なターミナル駅という位置づけだった。その後、利用客の増加に対応するためプラットフォームの増設が断続的に行われたが、あくまで暫定でありターミナル駅を意図していなかったので、駅構内は統一性がなく、迷路のようになっていった。それだけではなく、L&SWRの駅の他に現在のウォータールー・イースト駅にあたるサウス・イースタン鉄道(英語版)の駅や、ロンドン・ネクロポリス鉄道(英語版)のロンドン・ネクロポリス駅(英語版)が近接していたため、混乱に拍車をかけた。また、鉄道員の側も信号、線路、高架橋など複雑な構造のため混乱していた。ウォータールー駅の複雑さは、多くの作家やコメディアンによりジョークの対象となった。もっとも良く知られているのがジェローム・K・ジェロームのボートの三人男である。ウォータールーでは目的とする列車がどこで発着するか、どこに行くか、どこで見つかるか分からないことが多かった。
1898年、地下鉄ウォータールー駅の開業でシティ・オブ・ロンドンと直結されると延伸計画は廃止され、駅舎全てを取り壊し新たに造り直すことが決定した。工事は3つのブロックに分けて行われ、1903年に始まり1922年まで続いた。工事中に第一次世界大戦があり、メインエントランス上部に「ヴィクトリー・アーチ」という記念碑が付けられた。新駅は244m(800ft)のコンコースと21のプラットホームを備えていた。
1921年鉄道法による4大鉄道会社への集約では、ウォータールー駅はサザン鉄道の所有となった。第二次世界大戦中には爆撃により損害を受け何度か運行停止となった。戦後、1947年にはイギリス国鉄が設立され、鉄道は国有化された。ロンドンのターミナル駅の中で最も遅くまで蒸気機関車がけん引する列車が乗り入れており、全廃は1967年のことである。