ウォークマン
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ウォークマン(: WALKMAN)は、1979年7月1日からソニー[† 1]が販売しているポータブルオーディオプレイヤーシリーズ。

ソニーのポータブルモノラルテープレコーダー「プレスマン」からスピーカーと録音機能を省き、ステレオ再生専用ヘッドに置き換えステレオの再生に特化した製品として誕生する[1]。当初の再生可能な記録媒体コンパクトカセット(以下、カセットテープ)だけであったが、その後1984年にコンパクトディスク(以下、CD)、1988年に8ミリビデオ、1990年にDAT、1992年にミニディスク(以下、MD)、1998年にDVD、1999年にメモリースティック、2004年にハードディスクに対応したプレーヤーを発売した。また2000年代後半にはSony Ericssonが発売した、音楽再生機能を持つ携帯電話も「Walkman Phone」または「ウォークマンケータイ」と呼ばれた。

現行品は2000年から展開しているフラッシュメモリを使用したプレーヤーである。累計出荷台数は2010年3月末の時点で約4億台である[2]
歴史年表形式の記述については「#年表」を参照

ウォークマンの登場によって「音楽を携帯し気軽に楽しむ」という新しい文化が創造された。また小型化・軽量化・薄型化を限りなく追求したのもウォークマンの歴史であった。

なお開発の経緯に関してはソニーの歴史を記した創立50周年記念誌『源流』(1996年8月発行)や『源流』を要約したウェブページ「Sony History」[3]の第2部第6章「理屈をこねる前にやってみよう <ウォークマン>」[1]、『ソニー自叙伝』[4]で語られているが、ウォークマン開発のキーパーソンである井深大[† 2]盛田昭夫[† 3]黒木靖夫[† 4]、大曽根幸三[† 5]、高篠静雄[† 6]による著書やインタビュー記事を比較研究した長谷部弘道[† 7]によると、各人が述懐した内容は『源流』や『ソニー自叙伝』で記述されたウォークマン開発史[11]とは若干異なることが明らかとなっている[12]
開発経緯

ウォークマン登場前の1970年代当時、ステレオ型のテープレコーダーが家庭や自動車内で親しまれていたが、持ち運べるタイプはまだ内蔵スピーカー型やイヤホンを使用するモノラル型のものに限られていた[13]。1978年にソニーは肩かけ型の録音機であるデンスケシリーズとして小型ステレオ録音機の「TC-D5」を発売、生録[† 8]愛好者に人気となったが、重量があることから携帯用とは呼び難かった[15]。井深も「TC-D5」を愛用しており、海外出張の際に持参して飛行機内でステレオ音楽を楽しんでいたが、「重くてかなわない」と嘆いていた[16]

ある日井深は大賀典雄[† 9]に「プレスマンに再生だけでいいからステレオ回路を入れたものを作れないか。」と持ち掛ける[16]。これを受け、大賀は大曾根に頼んだところ、大曾根は2つ返事で承諾した[16][1]。大曾根は周りにあった「プレスマン」から録音機能を取り除き、それにあり合わせのヘッドホンを付けたプロトタイプを井深に渡した[16]。その性能に井深は1952年に初めて聴いたバイノーラル録音の記憶が蘇り、出張へ持参、帰国後も井深のお気に入りとなった[16]。そうして盛田のところへ持っていき聴かせると、盛田も気に入り、盛田はこれにビジネスチャンスがあると考えた[17]

1979年2月、盛田はエンジニア、企画担当者、宣伝・デザイン担当者など若手社員を中心に集め、改造したプレスマンを手にして商品化することを伝えた[17]。再生専用機でヘッドホン付き、発売は夏休み前[18][1]との盛田の考えに開発者たちは難色を示す[18]が、盛田の考えは変わらないため開発する方向で話はまとまった[18][1]。価格に関しては盛田は40,000円以下の指示を出し、開発者たちは検討した結果35,000円で決まりかけるが、盛田は「ソニー創立33周年」であることを理由にして33,000円で決定した[19]。開発は大曾根率いる高篠などのエンジニアによって行われ、1週間に2日から3日は徹夜をして開発が進められた[20][1]

一方でウォークマンに付属するヘッドホン「H・AIR」はウォークマン開発陣とは別のチームで行われており、互いの動きをまったく知らずに、別々にやっていたが、盛田が2つをセットにして発売することを1979年3月に決定した[21]。結果、ヘッドホンチームとしては2か月も発売が早まったこととなり、「戦場のような忙しさ」に見舞われたと、開発者であった掃部義幸[† 10]はウォークマン発売10周年のときに語っている[7]

開発は「プレスマン」のメカを流用したことで技術的な苦労はなかったが、新製品のコンセプトが受け入れられるかが検討課題となった[20][1]。プレーヤーの名称は宣伝部とデザイン部門を中心にネーミングの募集が行われ、100を超える名前が集まった[7]結果、当時流行していたスーパーマン[† 11]や「プレスマン」を基にして[20][1]、歩きながら音楽を楽しむ「ウォークマン」を提案した宣伝部係長の河野透[† 12]の案を黒木が採用した[7]。黒木からの報告を聞いた盛田は「もうちょっといい名前はないのか」と問うと、黒木から「パッケージもポスターも全部、ウォークマンで進めてますから変えられません。我慢してください」と言われたとウォークマン発売10周年のときに語っている[7][† 13]

こうして試作機が出来上がったが、当時ラジカセなどのカセットデッキは録音機能があることが前提であり、再生機能のみでは需要がないとされ、ソニー販売部門も難色を示した[23]。しかしソニーは売り上げより利益を重視する経営理念を掲げており、井深・盛田ら経営トップは「売れそうもない」と思われ、他社が手を着けないものだからこそ、利益を独占できる可能性があり、やる価値があると考えた[23][24]。盛田は「クビをかけてでもやる決意だ」と宣言した[25][1]

盛田の指示にて初期出荷台数は30,000台と当時一番売れたテープレコーダーの2倍の数を設定し、1979年6月22日、マスコミへの発表日を迎えた[26][1]
創成期1979年発売のウォークマンの一号機「TPS-L2」(画像は1981年上期ごろ製造の後期型)

盛田はウォークマンの構想が持ち上がった時からすでに、その主な顧客層として若者を想定し、若者にターゲットを絞った[27]。そして、若者というターゲットに訴求するためには、当時の若者は雑誌を読んでいたので、従来主流とされていた新聞だけではだめだと判断し、新聞向けとは別に雑誌向けの製品発表会を開催した[27]。新聞社向けの発表はホテルに記者を集めて説明するという従来のスタイルであったのに対し、雑誌向けの発表会についてはまず銀座・ソニービルに集まった記者をバスで代々木公園へ運んだあと、記者全員にウォークマンを配り、記者がそのヘッドホンを装着して再生ボタンを押すと、音楽とともに商品説明がヘッドフォンから流れると同時に記者の目の前にウォークマンを装着した若者が登場し、二人乗り自転車に乗ったり、ジョギングやエアロビクスをするといった、若者がどのようにして音楽を楽しむのかデモンストレーションを行った[1][27]

こうして1979年昭和54年)7月1日にウォークマン1号機「TPS-L2」が発売された。発売当初のマスコミ紙面の反応は芳しくなく、人目に触れなければとの考えから、宣伝部や営業スタッフはウォークマンを身につけ山手線を一日中グルグル回るという作戦に出る[1]。日曜日には若いスタッフにも製品を身につけさせ、街中を歩かせ、さらに影響力のある有名人にも製品を提供するなどして認知を高めていった[1]

このような広告・宣伝活動の甲斐もあり、雑誌では大きな反応が起きた[27]。多くの雑誌が、ウォークマンをただの新製品として紹介するだけでなく、「ウォークマンは新しい若者のライフスタイルの象徴」として誌面で採用し、さまざまな記事の中で小物として使い始めた[27]。たとえば『月刊明星』は、発売が7月末となる1979年9月号の見開きページで西城秀樹が上半身裸の短パン姿でウォークマンを聴きながらローラースケートをしている写真を掲載した[28]。その後も続々と各雑誌がウォークマンを取り上げ、8月には各店舗でウォークマンの売り切れが続出[7][29][30][31]、発売1ヶ月で3000台ほどの売上から、翌月には初回生産3万台を全て売上げ、供給不足が半年間続くほどの人気となった[1]

こうした盛田の顧客層分析、広告宣伝、メディア戦略、販売促進などのマーケティングによってウォークマンは反響を呼び、販売成功につながった[27]

なお日本では最初からウォークマンの商品名で発売されたが、文法に合わない和製英語であるウォークマン(Walkman)を避けて、海外では当初、他の商品名で発売された。アメリカではウォーク・アバウツ=歩き回る、ラン・アバウツ=走り回るからの造語で「Sound about(サウンド・アバウツ)」、イギリスでは密航者を意味する「Stow away(ストウ・アウェイ)」、スウェーデンでは「Free Style(フリー・スタイル)」の商品名で発売された。しかし、来日した音楽家らによって日本からウォークマンが土産として“輸出”され、彼らの口コミにより日本国外でも「ウォークマン」の知名度が高まったことから、1年も経たずにウォークマンに統一された。黒木靖夫によると、この判断には、当時の会長・盛田昭夫の独断的な決定があり[32]、その決定には盛田の妻である良子の意見があったとされる[7]


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