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ウォルドルフ=アストリア・ニューヨーク
ウォルドルフ=アストリア・ニューヨーク(The Waldorf-Astoria)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンにある高級ホテル。49丁目と50丁目の間のパーク・アベニュー301号に所在する。
概要
アメリカを代表するホテルウォルドルフ=アストリアにてニューヨーク州知事(当時)のネルソン・ロックフェラー(中央左)とソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ書記長(中央右)、1959年
オープン当初から、ニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして内外に知られ、ニューヨーク市を訪れる歴代アメリカ大統領[1][2]、国王などの元首クラスの賓客が数多く宿泊してきたホテルとしても知られている[3]。冷戦時代にアメリカと対立したソ連のニキータ・フルシチョフ[1]、キューバのフィデル・カストロ[4]、パレスチナ自治政府のヤセル・アラファト[5]も訪れ、国連やニューヨークにやってきた各国政府の首脳会談や大企業のカンファレンスなどが頻繁に行われるマンハッタンを代表するランドマークのひとつとなっている。なお、アメリカを公式訪問した日本の昭和天皇や歴代首相も宿泊している。政治家や王族、セレブリティだけでなく、アラブの石油王やバブル崩壊前の日本の裕福なビジネスマンなど海外の富豪も好んで宿泊し[6]、1954年から2年ごとに上流階級が集まるインターナショナル・デビュタント・ボール(英語版)は世界で最も権威があるデビュタントボールとされ[7][8]、富と権力と名声の象徴であった[9][10]。
アメリカ同時多発テロ事件の翌年の2002年には、同事件で「主要な目標となったニューヨークを支援する」という目的で初めてニューヨークで開催された世界経済フォーラムによる「ダボス会議」が行われた。 古くは第31代米大統領のハーバート・フーヴァーと第34代米大統領のドワイト・アイゼンハワー[11]、ダグラス・マッカーサー元帥[1]、ラッキー・ルチアーノやフランク・コステロらニューヨークのマフィア最高幹部[12]、セレブのエリザベス・テイラーやヒルトン一族[13]なども自邸として使用していたこともある。ウォルドルフ=アストリアにてジョン・F・ケネディ米大統領、ウタント国連事務総長、アドレー・スティーブンソン米国連大使(1962年) 42階のスイートルームは国際連合本部ビルがニューヨークに建設され始めた1947年からアメリカ合衆国国際連合大使の公邸として借り上げられ[14][15]、1960年に新しい公邸としてニューヨークのサットン・プレイスが米国政府に寄贈されるも当時の米国連大使アドレー・スティーブンソンは拒否したため、1972年にサットン・プレイスは国連に寄贈されて国際連合事務総長の公邸となった[16][17][18][19]。後の第41代大統領であるジョージ・H・W・ブッシュなど歴代米国連大使の自邸でもあったが[20][16][21][22][23]、後述する2014年の中華人民共和国の企業による買収とそれに伴う改修を受け、政府の機密が漏れることを防ぐことを理由に廃止された[24]。
多彩な「住人」