ウォルドルフ=アストリア
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「ウォルドーフ・アストリア」はこの項目へ転送されています。このホテルに由来するホテルブランドについては「ウォルドーフ・アストリア・ホテルズ&リゾーツ」をご覧ください。

ウォルドルフ=アストリア・ニューヨーク


ホテル概要
正式名称The Waldorf-Astoria
運営ヒルトン
所有者安邦保険集団
前身「ウォルドルフ・ホテル」、「アストリア・ホテル」
階数- 43階階
部屋数1380室
開業1931年(ウォルドルフ=アストリア)
最寄駅51st Station
最寄ICFDR Drive Exit 9
所在地〒10022-6897
アメリカ合衆国 301 Park Avenue, New York, N.Y.
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度45分23秒 西経73度58分24秒 / 北緯40.7565度 西経73.9734度 / 40.7565; -73.9734座標: 北緯40度45分23秒 西経73度58分24秒 / 北緯40.7565度 西経73.9734度 / 40.7565; -73.9734
公式サイト ⇒公式サイト
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ウォルドルフ=アストリア・ニューヨーク(The Waldorf-Astoria)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンミッドタウンにある高級ホテル。49丁目と50丁目の間のパーク・アベニュー301号に所在する。
概要
アメリカを代表するホテルウォルドルフ=アストリアにてニューヨーク州知事(当時)のネルソン・ロックフェラー(中央左)とソビエト連邦ニキータ・フルシチョフ書記長(中央右)、1959年

オープン当初から、ニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして内外に知られ、ニューヨーク市を訪れる歴代アメリカ大統領[1][2]国王などの元首クラスの賓客が数多く宿泊してきたホテルとしても知られている[3]冷戦時代にアメリカと対立したソ連ニキータ・フルシチョフ[1]キューバフィデル・カストロ[4]パレスチナ自治政府ヤセル・アラファト[5]も訪れ、国連やニューヨークにやってきた各国政府の首脳会談や大企業のカンファレンスなどが頻繁に行われるマンハッタンを代表するランドマークのひとつとなっている。なお、アメリカを公式訪問した日本昭和天皇や歴代首相も宿泊している。政治家王族セレブリティだけでなく、アラブの石油王やバブル崩壊前の日本の裕福なビジネスマンなど海外の富豪も好んで宿泊し[6]1954年から2年ごとに上流階級が集まるインターナショナル・デビュタント・ボール(英語版)は世界で最も権威があるデビュタントボールとされ[7][8]、富と権力と名声の象徴であった[9][10]

アメリカ同時多発テロ事件の翌年の2002年には、同事件で「主要な目標となったニューヨークを支援する」という目的で初めてニューヨークで開催された世界経済フォーラムによる「ダボス会議」が行われた。
多彩な「住人」

古くは第31代米大統領のハーバート・フーヴァーと第34代米大統領のドワイト・アイゼンハワー[11]ダグラス・マッカーサー元帥[1]ラッキー・ルチアーノフランク・コステロらニューヨークのマフィア最高幹部[12]、セレブのエリザベス・テイラーやヒルトン一族[13]なども自邸として使用していたこともある。ウォルドルフ=アストリアにてジョン・F・ケネディ米大統領、ウタント国連事務総長、アドレー・スティーブンソン米国連大使(1962年)

42階のスイートルームは国際連合本部ビルニューヨークに建設され始めた1947年からアメリカ合衆国国際連合大使の公邸として借り上げられ[14][15]1960年に新しい公邸としてニューヨークのサットン・プレイスが米国政府に寄贈されるも当時の米国連大使アドレー・スティーブンソンは拒否したため、1972年にサットン・プレイスは国連に寄贈されて国際連合事務総長の公邸となった[16][17][18][19]。後の第41代大統領であるジョージ・H・W・ブッシュなど歴代米国連大使の自邸でもあったが[20][16][21][22][23]、後述する2014年の中華人民共和国の企業による買収とそれに伴う改修を受け、政府の機密が漏れることを防ぐことを理由に廃止された[24]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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