ウォルト・ロストウ
Walt Rostowウォルト・ロストウ(1968年10月)
生誕 (1916-10-07) 1916年10月7日
アメリカ合衆国、ニューヨーク州ニューヨーク
死没 (2003-02-13) 2003年2月13日(86歳没)
アメリカ合衆国、テキサス州オースティン
国籍 アメリカ合衆国
研究機関コロンビア大学
マサチューセッツ工科大学
テキサス大学オースティン校
研究分野開発経済学
母校イェール大学
オックスフォード大学
実績ロストウ理論
受賞大英帝国勲章(1945年)
レジオン・オブ・メリット(1945年)
大統領自由勲章(1969年)
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ウォルト・ホイットマン・ロストウ(英語: Walt Whitman Rostow、1916年10月7日 - 2003年2月13日)は、アメリカ合衆国の経済学者。W・W・ロストウと呼ばれることも少なくない。 独自の経済発展段階説を組み立てた。その中の用語である「テイク・オフ(離陸)」は広く知られ、経済史の議論にも一時期影響を及ぼした(経済成長史学と呼ばれることもある)。ベスト・アンド・ブライテストの一人であり、アイゼンハワー・ケネディ・ジョンソン政権の政策決定に深く関与し、イスラエルの核開発計画にも絡む[1]など「アメリカのラスプーチン」と呼ばれた[2]。法学者でイェール大学教授・政治問題担当国務次官を務めたユージン・ロストウは兄。 1961年に韓国経済に関して提出した報告書では、「韓国経済が数百年にわたって引きずってきた固執的で東洋的な問題のため、絶望的な状態にある」と結論付け、韓国政界の分裂と不正は矯正できない風土病のようなものであり、独自路線による工業化の追求など話にもならないとしていたが、それから30年後に韓国を訪問した際に自分の間違いを認めたうえで、「いったいこの民族に自分も知らないどのような文明的な底力があったのか」と質問した[3]。
人物
略歴
1916年 ニューヨーク市のロシア系ユダヤ人の家庭に生まれる。名前はウォルト・ホイットマンに由来する。
1936年 飛び級を重ね、イェール大学を最年少で卒業する。この頃は共産主義者で有名だった[4]。
1938年 ローズ奨学生を得てオックスフォード大学のベリオル・カレッジに進み、MAを取る。
1939年 イェール大学大学院より博士号を取得。
1940年代 第二次世界大戦中、OSSでドイツ空爆の作戦に加わる。
1950年 マサチューセッツ工科大学の経済史の教授となる。