ウォルト・ディズニー・レコード
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ウォルト・ディズニー・レコード

親会社ディズニー・ミュージック・グループ
(ディズニー・プラットフォーム・ディストリビューション)
設立1956年2月4日
設立者ロイ・O・ディズニー
Jimmy Johnson
ウォルト・ディズニー
販売元ユニバーサル・ミュージック・ディストリビューション(英語版)
(Worldwide)[1][2]
ジャンルポップ
カントリー
サウンドトラック
アニメソング
United States
本社所在地500 S. Buena Vista Street,
Burbank, CA
公式サイトmusic.disney.com

ウォルト・ディズニー・レコード(Walt Disney Records)は、米国ウォルト・ディズニー・カンパニーのレコード会社ディズニー・ミュージック・グループのレーベル。旧名はディズニーランド・レコード(Disneyland Records)[3]日本での発売・販売元はユニバーサル ミュージック合同会社
歴史
ディズニーランド・レコード

1956年2月4日、ウォルト・ディズニー・プロダクションのレコード部門として、ジミー・ジョンソンを社長に迎え、ディズニーランド・レコードとして設立された[3]。ジョンソンはこの新会社のアーティストとレパートリー部門の責任者として音楽家のトゥッティ・カマラタを招いた。「ディズニーランド」印の10インチLPは、その数ヶ月前に「子供の詩の園」のミュージカル版が発売されていたが、これは音楽出版社チャールズ・ハンセンによって販売されていた。このレーベルが最初に制作、製造、販売、流通させたディズニーランド・レコードは、ウォルトが自分のレコード会社のために特別に録音した唯一のアルバム「Walt Disney Takes You to Disneyland」であった[4]。また、この最初の年には、7枚のディズニーのアニメーション映画のサウンドトラックが同社から発売された[5]

ディズニーランド・レコードは、創業から1年以内に映画『幌馬車隊西へ!』からパーカーのシングル「Wringle Wrangle」を発売し、このシングルはヒットとなった。これがきっかけとなり、同社は映画以外の音楽の録音を開始することになる。しかし、同社から発売されたものは、業界では子供向けと分類されていた。しかし、同社から発売されるものは、業界では子供向けとされていた。価格設定は、子供向けというより、大人向けであった。唯一社外で成功したのは、カマラータのアルバム「トゥッティのトランペット」であった。こうして1959年、ディズニーランド・レーベルはサウンドトラックと子供向けレーベルとなり、ブエナ・ビスタ・レーベルはときどきポップソングのレコードを出すようになった[5]

カマラタは、「白雪姫」、「バンビ」、「シンデレラ」などのディズニーの名曲をジャズでアレンジしたアルバムや、オリジナルのコンセプトアルバムなど、本格的な音楽のレーベルとしてスタートし、サウンドトラックのフォーマットも歌だけでなく、曲の一部分も収録するようになった[6]。トゥッティの音楽業界におけるコネクションは、メアリー・マーティン、ルイ・アームストロングルイ・プリマ、フィル・ハリスといったアーティストを同レーベルに招き入れた。人気のあるマウスケティアのアネット・ファニセロが『ミッキーマウス・クラブ』のテレビシリーズで「How Will I Know My Love」という曲を歌った後、ファンからスタジオに連絡があり、このレコードはマイナーヒットとなった。これをきっかけに、カマラタ、ジョンソン、ウォルト・ディズニーは、レーベル初のアーティスト・イン・レジデンスとしてアネットのキャリアを後押しすることになった。1959年、ブエナ・ビスタ・レコードは、フニセロの選りすぐりの録音物、サウンドトラック・アルバム、その他現代のオーディオマニア音楽のために結成されたレーベルである[7]

アネットにふさわしい曲を探していたトゥッティたちは、ラジオから流れてきたリチャード・M・シャーマンとロバート・B・シャーマンの曲を聴いて、二人の作曲家コンビを発見した。シャーマン兄弟とハリウッドにあるサンセットサウンドの2人の技術者の参加を得て、カマラタは「アネットサウンド」と呼ばれる、アネットの声を強調するための特殊な多重録音を作り上げ、これが業界の標準となったのである。シャーマン兄弟はアネットの歌を数多く手がけただけでなく、1960年代以降のディズニーを代表する歌のほとんどを担当した。テーマパークの「小さな世界」「チキ・チキ・チキルーム」、そして「メリー・ポピンズ」「プーさんとはちみつ」「ジャングル・ブック」「プーさんと大あらし」「ベッドかざりとほうき」の歌などである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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