ウォルター・デニング
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Walter Dening
ウォルター・デニング
1874年
生誕 (1846-07-23) 1846年7月23日
イギリス イングランドデヴォン州、オタリー・セント・メアリー(英語版)ピット・ハウス
洗礼セント・メアリー教会(英語版)
死没 (1913-12-05) 1913年12月5日(67歳没)
日本宮城県仙台市米ヶ袋上丁41番地
死因リウマチによる心臓麻痺
墓地北山輪王寺外国人共同墓地
国籍 イギリス
別名伝仁、伝仁具、伝任、底寧口[1]、Historicus[2]
出身校英国聖公会宣教協会イズリントン・カレッジ(英語版)
職業英国聖公会宣教師、第二高等学校英語科教師、ジャパン・ガゼット主筆
時代明治時代
代表作Japan in Days of Yore
影響を与えたもの小川淳、寺田藤太郎、伊藤一隆
活動拠点マダガスカル長崎函館札幌東京仙台
宗教キリスト教イングランド国教会
配偶者ヴィクトリア・クロゴン、リジア・ノルマン
子供エスラー・デニング(英語版)
親ジョン・デニング
親戚ジョン・ピット・デニング(英語版)(甥)
栄誉勲四等瑞宝章
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ウォルター・デニング(Walter Dening、1846年7月23日 - 1913年12月5日)はイギリス出身のキリスト教宣教師、語学教師、ジャーナリスト。デヴォン州オタリー・セント・メアリー(英語版)出身。英国聖公会宣教協会に属し、マダガスカルに派遣された後、日本長崎に赴任した。翌年北海道に渡り、函館で初めて伝道活動を行った。平取札幌で伝道した後、函館に戻ったが、霊魂不滅に異を唱えたため、本国に呼ばれて解任された。東京に出て、慶應義塾東京師範学校成立学舎学習院海軍省等で教え、ジャパン・ガゼットやジャパン・メイルで報道活動に関わった。オーストラリアに渡った後、日本に戻って第二高等学校等で英語を教え、仙台に骨を埋めた。

子に駐日英国大使エスラー・デニング(英語版)がいる。
生涯
来日前セント・メアリー教会イズリントン・カレッジ

1846年7月23日イングランドデヴォン州オタリー・セント・メアリー(英語版)ピット・ハウス(現ピット・ファーム[3])に生まれ、8月21日セント・メアリー教会(英語版)で洗礼を受けた[4]エクセタートーキーの学校を経て、1863年農業に従事した[5]

1866年, ロンドン英国聖公会宣教協会宣教師養成学校イズリントン・カレッジ(英語版)に入学し[5]、1869年ラテン語ギリシャ語イギリス文学イギリス史試験に合格し[6]、9月19日カンタベリー大主教から執事に任命された[7]

1870年フランスマダガスカルに赴任し、1871年モーリシャス主教(英語版)から司祭に任命された[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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