ウォバッシュ川
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度47分53秒 西経88度1分38秒 / 北緯37.79806度 西経88.02722度 / 37.79806; -88.02722

ウォバッシュ川
ウォバッシュ川の流域を示した地図
延長810 km
平均流量1,001 m³/s
流域面積103,500 km²
水源オハイオ州マーサー郡フォートリカバリー周辺
河口・合流先イリノイ州ショーニータウン付近でオハイオ川に注ぐ
流域アメリカ合衆国
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ウォバッシュ川(ウォバッシュがわ)あるいはウォバシュ川(ウォバシュがわ、[?w??ba?]、: Wabash River)はアメリカ合衆国を流れる川。全長は810km[1]

オハイオ州北西部のインディアナ州との境界付近から西へ流れ、その後南西?南方向へと転じ、インディアナ州とイリノイ州との境界を流れ、オハイオ川へと注ぐ。オハイオ川本流の北側では最長の支流である。流域の大半はインディアナ州内にある。

ウォバッシュ川はインディアナ州の「州の川」であり、ポール・ドレッサーが作曲した『遥かなるウォバッシュ川の堤にて』は州歌になっている。インディアナ、イリノイ州の2つの郡(ウォバッシュ郡 (インディアナ州) ウォバッシュ郡 (イリノイ州))、イリノイ州ウォバッシュ市、さらにイリノイ、インディアナ、オハイオ州の8つのタウンシップが「ウォバッシュ」と名付けられている。そのほか、2校の大学(ウォバッシュ大学、ウォバッシュ・バレー大学)、高校、鉄道、さらに複数の橋や通りの名前、海軍の軍艦、周辺で繰り広げられた多くの戦いも川の名前に因んでいる。
歴史人工衛星から見た、ウォバッシュ川とオハイオ川の合流部。オハイオ川の左側にはホーヴェイ湖がある。

14,000年?15,000年前にローレンタイド氷床が融解・後退し始め、現在のインディアナ州北部?オハイオ州北西部にあった氷は3つのローブ(氷河の先端部分)に分かれた。最も東側のヒューロン・エリーローブにはフォートウェイン・モレーンが残った。氷河から解け出した水は2つの川に排水され、セントジョセフ川とセントメアリーズ川(モーミー川の支流)となった。この2つの川は、かつては恐らくウォバッシュの主要な水源であった[2]

氷床のヒューロン・エリーローブが解け続けると、解けた水は一時的に東の氷床と西のフォートウェイン・モレーンの間に閉じ込められた。やがて氷河跡湖のモーミー湖を形成し、この湖は現在のエリー湖の原型となった。約11,000年前、モーミー湖の水深があまりにも深くなりすぎたために、フォートウェイン・モレーンの弱くなっている部分から決壊した。これにより発生した氷河湖決壊洪水は幅1.6?3.2qの谷を刻み、ウォバッシュ・エリー水路または単に「排水路」として知られている。リトル川はこの水路を流れており、アメリカ国道24号線もフォートウェインからハンティントンまでこれに沿っている。インディアナ州アレン郡には地誌学的な特徴が最もよく見られる[2]

氷床が地域から完全に解けきると、ウォバッシュ・エリー水路よりも標高の低い、新たなモーミー湖からの排水路が開かれた。セントジョセフ川、セントメアリーズ川はウォバッシュ・エリー水路を流れ続けたが、モーミー湖はもはやそうではなくなった。

それがいつであったかは確かではないが、遠い昔にセントジョセフ川とセントメアリーズ川は堆積物を越え、フォートウェイン水路の沼沢地へと溢れた。並外れた洪水で放出された水は水路を横切り、モーミー川の源流に接触するのに十分だった。洪水流は東のモーミー川に流れ込み、新たな水路の浸食作用はフォートウェイン水路を横切り、より標高の低いモーミー川へと流れるのに十分であった。これは要するに、洪水流が引くとかつての水路は2つの川によって恒久的に断たれたことを意味した。両川による河川争奪の結果、モーミー川は小河川から大きな川へと変わった。川は前と同じようにフォートウェイン水路を通ってはいるが、現在は西方向ではなく、東のエリー湖へと流れている[2]。この出来事の結果、ウォバッシュ・モレーン沿いのインディアナ州ブラフトン付近に源を発するウォバッシュ川の支流が、川の本流へと変わった。

ウォバッシュ川の流路の一部は、氷河期が始まる前のテイズ川の流路である。

「ウォバッシュ」(Wabash)という名前は、フランス語での川の名前「Ouabache」を英語風に綴ったものである。フランス人の交易者は、マイアミ・イリノイ語での川の名前waapaah?iikiから名付け、その意味は「白く輝く」、「純白」、「白い石を流れる川」等である[3]。マイアミ族は川底が石灰岩になっているインディアナ州ハンティントン郡での川の透明さを名前に反映させた[4]

ウォバッシュ川はミシシッピ川を探検したフランス人によって、オハイオ川も含めて初めて地図上に表された。現在、ウォバッシュ川はオハイオ川の支流とみなされているが、18世紀半ばまではオハイオ川がウォバッシュ川の支流だと考えられていた。というのも、フランス人交易者はメキシコ湾からカナダまで南北を移動するのにウォバッシュ川を通っていたからである。ウォバッシュ川は北アメリカとフランスの交易において不可欠な役割を果たした[5]

アメリカは、1779年のフォート・ビンセンスの戦い、179年のセントクレアの敗戦(ウォバッシュの戦い)、1794年のフォートリカバリー襲撃、1811年のティピカヌーの戦い、1812年のハリソン砦包囲戦と、計5回の戦闘を川の近くで戦った。イリノイ州マウントカーメル付近のビール・ウッズ州立公園には、かつて川に隣接していた原生林が133ヘクタール残されている。19世紀当時、ウォバッシュ・アンド・エリー運河は世界で最も長い運河で、川の大部分に沿っていた。現在でもまだ到達可能な場所はあるが、運河のほとんどは廃止され、もはや存在していない。

19世紀のほとんどの期間は、インディアナ州テレホートとオハイオ川合流部との間は大型船も航行でき、蒸気船も立ち寄っていた。しかし19世紀末には農業が原因で水量が減少し、大型船はウォバッシュ川を通過できなくなった。浚渫がされらばこの問題を解決できた可能性があったが、鉄道が輸送手段としてより好まれるようになったため、着手されなかった。テレホートから下流200マイルの区間には操作不可能になった旋回橋が数か所にある[6]

インディアナ州とイリノイ州境での川の流路はしばしば変わっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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