ウェンディ・ターンブル
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ウェンディ・ターンブル
Wendy Turnbull


基本情報
フルネームWendy May Turnbull
愛称ラビット (Rabbit)
国籍
オーストラリア
出身地同・ブリスベン
生年月日 (1952-11-26) 1952年11月26日(68歳)
身長164cm
体重54kg
利き手右
バックハンド片手打ち
ツアー経歴
デビュー年1975年
引退年1990年
ツアー通算68勝
シングルス13勝
ダブルス55勝
生涯通算成績929勝448敗
シングルス577勝318敗
ダブルス352勝130敗
生涯獲得賞金2,769,024 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪準優勝(1980)
全仏準優勝(1979)
全英ベスト8(1979-81)
全米準優勝(1977)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪準優勝(1983・88)
全仏優勝(1979)
全英優勝(1978)
全米優勝(1979・82)
優勝回数4(仏1・英1・米2)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全仏優勝(1979・82)
全英優勝(1983・84)
全米優勝(1980)
優勝回数5(仏2・英2・米1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス3位
ダブルス1位 (?)
獲得メダル

女子 テニス
オリンピック
1988 ソウルダブルス

■テンプレート  ■プロジェクト テニス

ウェンディ・ターンブル(Wendy Turnbull, 1952年11月26日 - )は、オーストラリアブリスベン出身の元女子プロテニス選手。

主に1970年代後半から1980年代に活躍した選手で、素速いフットワークから“Rabbit”(ラビット)というニックネームで呼ばれた。しかし4大大会の女子シングルスで3度の準優勝に終わり、1977年全米オープン1979年全仏オープン1980年全豪オープンの決勝戦で敗れた。WTAツアーでシングルス13勝、ダブルス55勝を挙げた。
選手経歴

ターンブルは15歳で学校をやめ、4年間の銀行勤務を経てテニス選手になった。1975年にプロ入り。1976年日本の「ジャパン・オープン」で優勝している。最初のチャンスは1977年全米オープンで訪れ、ターンブルは準々決勝で当年度のウィンブルドン優勝者バージニア・ウェード(第3シード、イギリス)、準決勝で第2シードのマルチナ・ナブラチロワを連破して初めての4大大会決勝に進んだが、第1シードのクリス・エバートに 6-7, 2-6 で敗れて準優勝になった。全米オープンでは、翌1978年も準決勝でエバートに敗れる。2度目のチャンスとなった1979年全仏オープンでも、決勝戦で同じエバートの壁にぶつかり、2-6, 0-6 の完敗で2度目の準優勝になっている。

1980年のシーズンは全体的に好調で、全仏オープンウィンブルドンでともにベスト8進出を果たした後に、年末開催の全豪オープンで3度目の4大大会決勝進出を決めた。(注:当時は全豪オープンの開催時期が何度も変わり、1977年1月開催12月開催と2度行われたのちに、1978年-1985年までは12月の年末開催で行われていた。)ターンブルは準決勝で第1シードのマルチナ・ナブラチロワを破ったが、決勝で当時18歳の新鋭ハナ・マンドリコワに 0-6, 5-7 で敗れ、またしても優勝のチャンスを逃した。その後は全豪オープン1981年1984年全米オープン1984年に準決勝進出がある。シングルスでは1989年ウィンブルドンの2回戦敗退が最後の試合になった。

ウェンディ・ターンブルはダブルスの名手として、女子テニスツアーで通算55勝を記録した。4大大会でも女子ダブルスは4勝、混合ダブルスは5勝を挙げている。1978年ウィンブルドンで、ターンブルは同じオーストラリアケリー・レイドとペアを組み、ミマ・ヤウソベッツユーゴスラビア)&バージニア・ルジッチルーマニア)組を 4-6, 9-8, 6-3で破って初優勝を飾った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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