ヴェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart、1863年1月19日 - 1941年5月18日)は、ドイツの経済学者・社会学者。ドイツ歴史学派最後の経済学者。ドイツ的社会主義を提唱し、またユダヤ人が資本主義を生み出したと論じ、反ユダヤ主義的な論述を行い、ナチスを支持した[1]。ウェルナー・ゾンバルトとも表記される。 ドイツのハルツ地方エルムスレーベン
経歴
当初はマルクス主義の立場だったが[2][3]、ナチスの政策を理論的に支えるようになった[4]。ナチス政権以後、1934年の『ドイツ的社会主義』を刊行し、「ドイツ的社会主義は資本主義ならびにユダヤ精神との闘争である」とナチスに共鳴した主張を行った[5]。
1936年に自主解散するまで社会政策学会の会長を務め、1938年に『人間について』を発表し、1941年に第二次世界大戦下のベルリンで死去した。なお、社会政策学会は大戦後の1948年に復活している。 ゾンバルトは社会主義に影響され初期には資本主義を批判していたが、やがて「資本主義の精神」のうち冒険的企業家的要素はドイツ人に、打算的ブルジョワ精神はユダヤ人に属するとした[6]。 1911年の『ユダヤ人と経済生活』で中世の封建制のキリスト教共同体は、近代資本主義に移行し、ユダヤ的な利益社会となったとし、人格的で自然なドイツ経済のなかにユダヤ人は嵐のように侵入し営利の優位を掲げたとした[6]。ゾンバルトによれば、国際的なネットワークを持つユダヤ人は地域的な伝統よりも経済合理性を重んじ、また市民権が剥奪されていたので政治でなく経済に注目し、近代資本主義の重要な担い手となった[6]。ユダヤ人は地域的でなく普遍的であり、国民的ではなく国際的で、具体的でなく抽象的である[6]。資本主義制度の創始者である砂漠の民族ユダヤ人は放浪的で抜け目がないのに対して、森の民族ゲルマン人は心がひろい[7]。ユダヤ教は悟性の宗教であり、感性と情感に欠けるため、自然の世界や有機的な世界とは対立し、合理主義と主知主義はユダヤ教と資本主義の特色である[6]。したがって、近代合理主義を推進したのはヴェーバーのいうようなプロテスタンティズムでなくユダヤ教であるとした[6]。資本主義とユダヤ教の本質は、貨幣によって表現され、貨幣と流通は社会関係を抽象化し、抽象化の精神はユダヤ人に具体化される[6]。彼はユダヤ世界と資本主義を同一視するという、ブルーノ・バウアーやマルクスらの考え方を再利用して、「太陽のようにイスラエル(ユダヤ人)はヨーロッパを飛翔した。そして彼らが来るところに新しい生命が生い立ち、彼らが退くところでは、今まで咲き誇っていたものはすべて荒廃に帰する」と述べた[8][9]。ゾンバルトのこの著書は友人のマックス・ヴェーバーから批判され、またヒトラーが資料として用いた[7]。 翌1912年の小冊子『ユダヤ人の未来』では、ユダヤ人はドイツの芸術、文学、音楽、演劇、新聞を牛耳っており、それはユダヤ人が聡明で器用であるからだが、このユダヤの優位性は放置すると取り返しのつかないことになる「人類最大の問題」であると主張した[8][10]。
ユダヤ資本主義