『ウェルテル』(Werther)は、ジュール・マスネが作曲した全4幕のオペラ。ドイツの作家ゲーテのシュトゥルム・ウント・ドラングの代表的小説『若きウェルテルの悩み』を題材にしている[1]。抒情劇(ドラム・リリック)と呼ばれることもある。『タイス』や『マノン』と並んで、マスネの代表作の一つとして数えられる。劇中の「手紙の歌」や「オシアンの歌」などは単独でも歌われる有名なアリアである。
作曲の経緯初演でウェルテルを演じたエルネスト・ヴァン・ダイク
マスネの回想録によれば、1886年に楽譜出版社のジョルジュ・アルトマン(フランス語版)と共に、ワーグナーの『パルジファル』を観劇するために初めてバイロイトへ旅行し、その帰途ヴェッツラーに立ち寄った際に、アルトマンが[2]マスネにゲーテの原作(フランス語訳)を渡されたことが作曲のきっかけであるという[3]。マスネは原作を読んで、「熱狂と恍惚に満ちた情熱に思わず涙を流さずにはいられなかった」と語って感動し、涙したと伝えられ、「素晴らしいオペラになるに違いない」と予感したという。しかし実際には『若きウェルテルの悩み』をオペラにする構想を早くも1880年頃にすでにしており、これは友人たちに宛てた手紙の中で言及している。そして1885年から作曲に着手している。
1887年に総譜を完成させ、オペラ・コミック座の支配人レオン・カルヴァロ(英語版)に上演を依頼するが、カルヴァロは聴衆には陰鬱すぎるという理由で断られてしまう。さらにその年の暮れにコミック座は火事で焼失してしまい、『ウェルテル』はしばらくの間お蔵入りとなってしまう[4]。 『ウェルテル』の初演の機会が得られない最中、1890年に『マノン』がウィーンで初演され大成功を収め、この成功を受けて、宮廷歌劇場側が既に完成していた『ウェルテル』を非常に興味を示したため、ようやく初演が実現し、1892年の2月16日にドイツ語版によってウィーンで初演されて大成功を収め、同年中にヴァイマルなどドイツ各地で上演されている。パリ初演は1893年の1月16日にコミック座で行われたが、失敗に終わってしまい、翌年にはレパートリーから除外されてしまう。しかし1903年にアルベール・カレ
初演とその後
初演の後、アメリカ初演は1894年 3月29日にシカゴ公会堂にてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場一座によって行われた。出演はエンマ・イームズ(英語版)、シグリッド・アルノルドソン(英語版)、ジャン・ド・レシュケ(英語版)、マルタプーラら、指揮はマンチネッリであった[5]。イギリス初演は1894年6月11日にロンドンのコヴェント・ガーデンロイヤル・オペラ・ハウスにて行われた。出演はイームズ、アルノルドソン、レシュケ、アルベールら、指揮はマンチネッリであった[5]。