ウェリントン公爵
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ウェリントン公爵
Duke of Wellington

創設時期1814年5月11日
創設者摂政王太子ジョージ (ジョージ3世)
貴族連合王国貴族
初代アーサー・ウェルズリー(初代ウェリントン侯爵)
現所有者アーサー・チャールズ・ウェルズリー(9代公)
相続人アーサー・ジェラルド・ウェルズリー(英語版)(ドゥロ侯爵)
相続資格初代公の嫡出直系の男系男子
付随称号ウェリントン侯爵、ドゥロ侯爵、モーニントン伯爵、ウェリントン伯爵、ウェルズリー子爵、ウェリントン子爵、モーニントン男爵、ドゥロ男爵
邸宅ストラトフィールド・セイ・ハウス(英語版)
アプスリー・ハウス

ウェリントン公爵(: Duke of Wellington)は、イギリス公爵位。連合王国貴族爵位。

ナポレオン戦争の英雄初代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリー1814年に叙されたのに始まる。連合王国貴族の中では筆頭となる爵位である。

爵位名はイングランド南西部、サマセットにあるウェリントン(英語版)にちなむ。
歴史ウェリントン公爵家のハンプシャーの邸宅ストラトフィールド・セイ・ハウス(英語版)をバックに立つ第8代ウェリントン公爵アーサー・ヴァレリアン・ウェルズリー(1986年撮影)ウェリントン公爵家のロンドンの邸宅アプスリー・ハウス(2006年撮影)

アイルランド貴族の初代モーニントン伯ギャレット・ウェズリー(1735年 ? 1781年)の三男アーサー・ウェルズリー(1769年 - 1852年)は、陸軍軍人となり、1809年からナポレオン戦争半島戦争でイギリス・ポルトガル連合軍の指揮をとった。1815年ナポレオン百日天下後にはワーテルローの戦いでイギリス軍主体の反仏連合軍の指揮を執ってナポレオンを再度の失脚に追い込んだことで知られる[1]

戦功により、1809年9月4日にはサマセット州におけるタラヴェラ=ウェリントンのウェリントン子爵(Viscount Wellington of Talavera and of Wellington in the County of Somerset)とサマセット州におけるウェルズリーのドゥロ男爵(Baron Douro, of Wellesley in the County of Somerset)に、1812年2月28日にはウェリントン伯爵(Earl of Wellington)に、1812年10月3日にはウェリントン侯爵(Marquess of Wellington)に、そして1814年5月11日にはウェリントン公爵(Duke of Wellington)とドゥロ侯爵(Marquess Douro)に叙された(以上全て連合王国貴族)[2][3]

加えて初代公は、外国からも爵位を受けた。ポルトガル王国の爵位としてヴィトリア公爵(Duque da Vitoria; 1812年叙位、ビトリアの戦いにちなむ。ただしビトリア=ガステイススペイン領)、トレス・ヴェドラス侯爵(Marques de Torres Vedras; 1812年叙位、彼がリスボン防衛のために築いたトレス・ヴェドラス線(Lines of Torres Vedras)にちなむ)・ヴィメイロ伯爵(Conde do Vimeiro; 1811年叙位、ヴィメイロの戦い(Battle of Vimeiro)にちなむ)に、スペイン王国の爵位としてシウダ・ロドリーゴ公爵(Duque de Ciudad Rodrigo; 1812年叙位、シウダ・ロドリーゴ攻城戦(Siege of Ciudad Rodrigo)にちなむ)に、ネーデルラント連合王国の爵位としてワーテルロー公(Prins van Waterloo; 1815年叙位、ワーテルローの戦いにちなむ。ただしワーテルローは現在ベルギー領)に叙されている[2][3]

2代公アーサー・ウェルズリー(1807年 - 1884年)は、1863年に従兄弟の息子にあたる5代モーニントン伯爵ウィリアム・ポール=ティルニー=ロング=ウェルズリー(英語版)(1813年 - 1863年)からモーニントン伯爵(Earl of Mornington)、ミース州におけるダンガン城のウェルズリー子爵(Viscount Wellesley, of Dangan Castle in the County of Meath)、モーニントン男爵(Baron of Mornington)を相続した(以上の3爵位はアイルランド貴族)。このため現在、ウェリントン公爵にはこれらの爵位が付属する。公爵位の法定推定相続人はドゥロ侯爵を、ドゥロ侯爵の法定推定相続人はモーニントン伯爵を儀礼称号として称する[2]

6代公ヘンリー・ウェルズリー(英語版)(1912年 - 1943年)は第二次世界大戦に従軍して戦死した。6代公には子供がなかったため、叔父のジェラルド・ウェルズリー(英語版)(1885年 - 1972年)が7代公を継承した。この際にスペインの爵位シウダ・ロドリゴ公爵位のみ6代公の姉アン・リース(1910年 ? 1998年)が継承したが、彼女は1949年に同爵位を7代公に譲っている[2]

2016年現在の当主は9代公アーサー・チャールズ・ヴァレリアン・ウェルズリー(1945年 - )である。彼は襲爵前の1979年から1989年にかけて欧州議会の議員を務めていた[2][4]。また襲爵後の2015年9月から世襲貴族の互選による世襲貴族枠の貴族院議員となっている[5]

邸宅はハンプシャーベイジングストークにあるストラトフィールド・セイ・ハウス(英語版)とロンドンピカデリーにあるアプスリー・ハウスである[2]。家訓は「勇気が幸運を呼ぶ(Virtutis Fortuna Comes)」[2]
現当主の保有爵位

現在の当主アーサー・チャールズ・ウェルズリーは以下の爵位を保有している[2][4]
イギリス爵位

第9代ウェリントン公爵 (9th Duke of Wellington)(
1814年5月11日勅許状による連合王国貴族爵位)


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