ウェブリー Mk VI リボルバー
Webley Mk VI Revolver
種類軍用回転式拳銃
原開発国 イギリス帝国
運用史
配備期間1887年 - 1963年
関連戦争・紛争ボーア戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争など
開発史
開発者ウェブリー・アンド・スコット
ウェブリー・リボルバー(Webley Revolver)、またはウェブリー中折れ式リボルバー(Webley Break-Top Revolver)、ウェブリー自動排莢式リボルバー(Webley Self-Extracting Revolver)とは、イギリスで開発された回転式拳銃である。1887年から1963年まで、本国と植民地を含むイギリス帝国およびイギリス連邦諸国における標準的な軍用拳銃であった。
ウェブリー・リボルバーは自動排莢装置を備えた中折れ回転式拳銃である。最初のモデルであるウェブリー Mk Iは1887年に採用された。その後、1899年から1902年まで続いたボーア戦争の最中には改良型のウェブリー Mk IVが採用されている。そして、最も有名なのが第一次世界大戦只中の1915年に採用されたウェブリー Mk VIである。
ウェブリー・リボルバーが使用する.455ウェブリー弾(英語版)は、官給拳銃として採用された中折れ回転式拳銃用の銃弾としては特に強力なものとして知られる。現在、.455ウェブリー弾を使用するウェブリー・リボルバーは使用されていないが、.38-200弾(英語版)を使用するモデルは現在でも一部の国で警察や軍隊の官給拳銃として使用されている[1]。 英国の企業であるウェブリー・アンド・スコット
歴史
1887年、英陸軍では1880年に採用されたものの評判の芳しくない.476口径エンフィールドMk IおよびMk II回転式拳銃に代わる新たな制式拳銃の選定に着手した。当時、ウェブリー・アンド・スコットは民生・軍用共に多くの拳銃を発表しており、この新制式拳銃の選定に関するトライアルにも新型の.455口径自動排莢式リボルバーを提出している。軍部ではこの拳銃が概ね好評で、1887年11月8日には制式名称ウェブリーMk Iピストル(Pistol, Webley, Mk I)として採用された[2]。最初の契約では10,000丁のウェブリー・リボルバーが要求され、1丁あたりの値段は3ポンド1シリング1ペンス(£3/1/1)とされていた。また、8ヵ月間に少なくとも2,000丁の納品が求められていた[3]。
その後、ウェブリー・リボルバー改良を重ねつつ生産が続けられた。最終モデルであるMk VIの調達期間は1915年から1923年までであった。1947年までにほとんどの.455口径モデルは退役し、エンフィールド・リボルバーなどと共に少数残されていた.38/200口径モデルも1963年までに退役した。民生市場向けにはウェブリー・ガバメントやウェブリー・ウィルキンソンなどのシリーズが販売され、将校の中にはウェブリー・リボルバーの退役後もこれらを個人的に購入して使用する者が少なくなかったという。 .455口径のウェブリーMk IVは1899年に発表されたモデルで、「ボーア戦争モデル」(Boer War Model)の通称でも知られる[4]。ボーア戦争勃発の折、英軍の将校および下士官の大多数がこのウェブリー・リボルバーを購入して戦地へと赴いた。また、ウェブリー以外にも様々な拳銃が使用されていた。例えば当時記者として従軍していたウィンストン・チャーチルも使用したモーゼルC96、ボーモン=アダムス・リボルバー 第一次世界大戦勃発を受け、1913年12月9日にはウェブリーMk Vが英軍の標準拳銃として採用されるが[5]、軍が要求していたMk Vの初期調達数20,000丁が開戦の時点で達成されていなかった為[6]、1914年の段階でも大量のウェブリーMk IVが前線で使用されていた[7]。
ウェブリー Mk I(1887年頃製造、.455口径モデル)
ウェブリー Mk VI(.455口径、官給モデル)
ウェブリー Mk VIのシリンダー
ウェブリー・ガバメント(.455/476口径)
フレームを開いたウェブリー Mk VI
IOF .32 リボルバー(英語版)
ウェブリー・ポケット・ピストルのコピー品(.38 S&W弾モデル、バグラム空軍基地にて撮影)
ウェブリー.455弾
第二次世界大戦期に調達されたMk IIリボルバー用.380弾の紙箱
官給拳銃として
ボーア戦争
第一次世界大戦