ウェブスター辞典
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ウェブスター大辞典の広告(1888年)

ウェブスター辞典(ウェブスターじてん、英語:Webster's Dictionary)とは、19世紀初頭にノア・ウェブスターが初めて編纂した一連の辞典。彼の名声にあやかり、その名を冠した無関係の辞典(いわゆる海賊版)を指す場合もある。アメリカ英語の形成史を探る上で非常に貴重であるのみならず、英語辞典の代名詞としても名高い[1]
ノア・ウェブスターのアメリカ英語辞典ノア・ウェブスター

当時アメリカ国内の市場を席巻していた、読本や綴字教本の作者であるノア・ウェブスターは、辞典編纂に当たり数十年にわたる調査を実施。1806年に初の辞典『簡明英語辞典』を上梓する事となるが、アメリカ式綴り(英語版)[注 1]の他、文学に限らず芸術並びに科学関係の術語も収録するなど、その後の辞典の原形となる特徴を有していた。
アメリカ英語辞典初版

1828年4月14日には当時70歳のウェブスターが、7万に及ぶ見出し語を収めた2巻組の『アメリカ英語辞典』(American Dictionary of the English Language, ADEL)を上梓[2]。初版は2巻で20ドル、2500部のみの発行であった。比較的高価であったため売れ行きは芳しくなく、原本が出版社にある以外は詳しい所在が分かっていない[3]
アメリカ英語辞典第2版
第1刷

当時82歳のウェブスターは1841年、息子のウィリアム・G・ウェブスターの支援を得て、ADELの改訂増補版を世に出す。初版に収録されている全見出し語に訂正と改善を加え、5000語を追加[4]。出版者はニューヘイヴンのB・L・ハムレンであった[5]
1844年版

ウェブスターが他界すると、相続人が1841年改訂版の未製本分をマサチューセッツ州アマーストのJ・S&C・アダムス社に売却。同社は1844年、少数ながら製本・発行を手掛けた。しかし、価格が15ドルと余りに高価だったため売れず、売却を決断するに至った。結局、マサチューセッツ州スプリングフィールドジョージ&チャールズ・メリアム社がJ・S&C・アダムス社から諸権利を買収[6]

エミリー・ディキンソン作の際用いた事でも知られ[7]、その生涯と作品を読み解く上で必須とされてきた。長年にわたり「唯一の仲間」と評したためである。ある伝記作家に至っては、「彼女にとって(1844年版ウェブスター)辞典はただの参考書ではなく、牧師の日?書として読んでいたのである。隅から隅まで、ページというページをひたすら」とまで言わしめている[8]
1845年版

第2版第3刷が1845年に刊行されるが、メリアム版としては初のウェブスター辞典であった[3]
影響

ジル・レポアは2008年、ウェブスターの言語政治についての革新的な考えを明らかにしつつも、何故ウェブスターの努力が当初は身を結ばなかったのかを検証。文化保守主義的なフェデラリストからは一連の辞書を低俗でさえあるとして非難され、一方ウェブスターの旧敵であるジェファソン民主主義者からも攻撃されていたのが理由とした[9]

とはいえ、建国当初で不安定なアメリカ人の社会政治的、文化的アイデンティティを捉え直す上で重要とされるのは間違い無い。例えば、ADEL初版には「地所局」(land-office)や「公共地使用権証」(land-warrant)といったアメリカ特有の用語が収録されている他、ベンジャミン・フランクリンジョージ・ワシントンらからの引用があるように、イギリス英語との差別化を図っていったのである[10]

自らの事業を「国家語の形成」と定義付ける事により、歴史的条件に規定されつつも、規則性や革新への情熱を示した事からも分かるであろう。その矛盾は自由と秩序との狭間で、より広範な弁証法的役割を果たしたのかもしれない[11]
ウェブスター以外の手による『ウェブスター辞典』

後に主たる競合相手となるジョセフ・ウースター(英語版)や、ウェブスターの娘婿に当たるイエール大学教授のチョーンシー・A・グッドリッチ(英語版)が編纂にあたったADEL初版の抄録が1829年に出版された。例文や参考文献が省略されているが、収録語数や定義は同一であった。

皮肉な事に「原本」よりも大いに売れ、版を重ねたものの、ウェブスターはウースターの手法に批判的だった[5]。両者はADEL1844年版の抄録を同年にニューヨークのハーパー&ブラザーズ社から出版している。
新改訂版

1843年にウェブスターが他界すると、グッドリッチを雇っていたメリアム兄弟が、売れ残りや著作権に至る諸権利はもとより、「ウェブスター」の名を買い取っている。グッドリッチは1847年9月24日に出版された新改訂版を、1859年には改訂増補版をそれぞれ監修した。
イギリスにおける影響

グラスゴーのブラッキー&ソン社は1850年、イラストをメインに据えた英語辞典を発行。原典の殆どはウェブスター辞典に拠っており、機械のイラストに技術用語を幾つか追加した程度である[12]
大辞典

ジョセフ・ウスターが1860年に革新的な辞典を刊行すると、ジョージ&チャールズ・メリアム社は1864年、「アメリカ英語辞典」と銘打った大改訂版を作り上げている。イエール大学の編集者であるノア・ポーターが編纂に当たり、11万4千項目を収録。

同書はドイツ哲学者カール・アウグスト・フリードリヒ・マーンが中心となり改訂を行ったため、ウェブスター=マーン版とも呼ばれるが、これまでのウェブスター辞典を総点検した、初の大辞典であった[注 2]1879年に4600語以上もの新語や、9700名以上もの著名人を収めた付録の他、1884年には発音索引を収録した補遺を発行。

後にオックスフォード英語辞典に携わる歴史家のK・M・エリザベス・マレーは、1864年の大辞典が「国際的な名声を得た。他の如何なる辞典をも凌駕するようになり、英米のみならず極東においても語義に関する権威にまで登り詰めた」としている[13]
ウェブスター国際辞典ウェブスター国際辞典の広告(1896年

ポーターは1890年、17万5000項目を収録したウェブスター国際英語辞典の編纂にも当たっており、1900年には2万5000項目を追加した付録と共に再版。
ウェブスター新国際辞典

1909年メリアム社はウィリアム・トリー・ハリス、F・スタージェス・アレンの両名が編纂を行った、ウェブスター新国際大辞典を刊行。収録項目は40万以上、イラストも倍増という充実ぶりであった。


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