ウェセックス家
House of Wessex
王朝
国ウェセックス王国
イングランド王国
創設519年 (1505年前) (519)
家祖チェルディッチ
最後の当主エドワード懺悔王
滅亡1125年以降
ウェセックス家(英:House of Wessex)は、5世紀以降、イングランド南部に建国したウェセックス王国を支配、9世紀にはイングランド全土を支配したアングロサクソン人の王家。始祖の名から、セルディック家(古英語: Cerdicingas)ともいわれる。 「アングロサクソン年代記」によると、495年に同家の始祖チェルディッチ(セルディック)とその息子キュンリッチ(キンリック)がハンプシャー南部に上陸したのが同家の始まりである[1]。以降、ブリトン人を駆逐して北上し、6世紀にテムズ川上流地域にウェセックス王国を建国した[2]。9世紀にエグバートはイングランドを統一し[3][4]、それ以降エグバートの子孫がイングランド王位を継承した。11世紀にはデンマーク王家がイングランド王位を得たが、ハーデクヌーズの死後、異父兄エドワード懺悔王が即位し、イングランド王位は同家に戻った[5]。しかし、1066年のエドワード懺悔王の死後、義兄ハロルド2世が即位[6]、その後わずかな期間エドガー・アシリングが王位を称するも、同年ノルマンディー公ギヨーム2世がウィリアム1世としてノルマン朝を創設し、同王家は断絶した。 血統的には、アルフレッド大王の娘エルフスリュス(フランドル伯ボードゥアン2世と結婚)の子孫マティルダがウィリアム1世妃に[7]、またエドガー・アシリングの姉マーガレットがスコットランド王マルカム3世の妃となり、その娘マティルダがイングランド王ヘンリー1世妃になっており[8]、女系を通してイングランド・スコットランド両王家を経て、現イギリス王室につながっている。 チェルディッチからエグバートまでの系譜は定かではない。 @チェルディッチ
歴史
系図
チェルディッチ(セルディック)からエグバートまで
クレオダ?
Aキュンリッチ
Bチェウリン クタ
クスウィン
(?-584) Cチェオル Dチェオルウルフ
キュネバルド チェッダ クタ・カスウルフ Eキュネイルス クスイルス
エゼルバルド コエンベルフト チェオルワルド クウィチェルム Fチェンワルフ Gサクスブルフ Jチェントウィネ チェンフェルス
オスワルド
(-730) Kキャドワラ ムル
(?-687)
ケント王 チェンレッド クスレッド
(?-661) Hチェンフス
Mエゼルヘルド エセルブルフ Lイネ インギルド
(?-718) Iエシュウィネ
エオパ
エアファ
エアルムンド
ケント王
Rエグバート
エグバート以降 エゼルベルト
エクグィン エドワード長兄王 エルフフェド エゼルウェルド エルフスリュス ボードゥアン2世
フランドル伯
エドギフ
エルフウィン
(?-937) エゼルウィン
(?-937) フランドル家
アゼルスタン エルフウェルド エドマンド1世 エドレッド
エドウィ エゼルフレダ エドガー エルフリーダ
エドワード殉教王 エルギフ エゼルレッド2世 エマ
(ノルマンディー公リシャール1世娘) クヌート
イングランド王
デンマーク王 エルギフ
(ノーサンプトン伯アルフヘルム娘)
エドマンド2世 エドワード懺悔王 エディス ハロルド2世
イングランド王 ハーデクヌーズ
イングランド王 ハロルド1世
イングランド王
ヘドウィグ
(ハンガリー王女) エドマンド エドワード・アシリング アガサ
(ハンガリー王イシュトヴァーン1世娘?)
エドガー・アシリング マーガレット マルカム3世
スコットランド王 ウィリアム1世
イングランド王 マティルダ
マティルダ ヘンリー1世
イングランド王