ウェスリー・ムーディ
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ウェスリー・ムーディ
Wesley Moodie


ウェスリー・ムーディ
基本情報
フルネームWesley Arthur Moodie
愛称ウェス (Wes)
国籍 南アフリカ共和国
出身地同・ダーバン
生年月日 (1979-02-14) 1979年2月14日(40歳)
身長196cm
体重91kg
利き手右
バックハンド片手打ち
ツアー経歴
デビュー年2000年
引退年2011年
ツアー通算7勝
シングルス1勝
ダブルス6勝
生涯通算成績228勝203敗
シングルス58勝70敗
ダブルス170勝133敗
生涯獲得賞金$2,455,112
4大大会最高成績・シングルス
全豪2回戦(2006)
全仏1回戦(2006)
全英3回戦(2003)
全米3回戦(2006)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪ベスト4(2008)
全仏準優勝(2009)
全英優勝(2005)
全米ベスト8(2009・10)
優勝回数1(英1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス57位(2005年10月10日)
ダブルス8位(2009年8月3日)
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

ウェスリー・アーサー・ムーディ(Wesley Arthur Moodie, 1979年2月14日 - )は、南アフリカ共和国ダーバン出身の男子プロテニス選手。2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルスで、ステファン・フースとペアを組んで優勝した。2009年全仏オープン男子ダブルスディック・ノーマンと組んだ準優勝もある。ATPツアーでシングルス1勝、ダブルス6勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。自己最高ランキングはシングルス57位、ダブルス8位。
目次

1 来歴

2 ATPツアー決勝進出結果

2.1 シングルス: 1回 (1勝0敗)

2.2 ダブルス: 13回 (6勝7敗)


3 4大大会シングルス成績

4 脚注

5 外部リンク

来歴

ムーディは両親とも大学教員の家庭に生まれ、6歳からテニスを始めた。アメリカ合衆国アラバマ州の学生テニス選手としてプレーし、大学で文系準学士号を取得した後、2000年に21歳でプロ入りする。2002年から男子テニス国別対抗戦デビスカップ南アフリカ共和国代表選手に選ばれ、2003年ウィンブルドン選手権男子シングルスセバスチャン・グロジャンとの3回戦に進出したが、2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルス優勝までは、ムーディは世界的には無名に近い選手だった。

2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルスで、ムーディとステファン・フースは2回戦でマヘシュ・ブパシ/トッド・ウッドブリッジ組を6-3, 7-6, 6-3のストレートで破って波に乗る。長年にわたってダブルスの世界的名手として君臨したウッドブリッジは、この試合の敗戦を最後に現役を引退した。ムーディとフースは、準々決勝でマーク・ノールズ/ミカエル・ロドラ組、準決勝でヨナス・ビョルクマン/マックス・ミルヌイ組といった強豪ペアを連破し、決勝では第2シードのブライアン兄弟と対戦した。初めての決勝では、伏兵のムーディ/フース組がブライアン兄弟を7-6, 6-3, 6-7, 6-3で破って優勝した。これはムーディにとって、プロテニス経歴の初優勝であった。ウィンブルドン男子ダブルス優勝の3ヶ月後、ムーディはジャパン・オープン・テニス選手権で来日し、決勝戦でマリオ・アンチッチを1-6 7-6, 6-4の逆転で破って初優勝した。これが唯一のシングルスタイトルである。ムーディとフースは11月第2週の男子テニス年間最終戦テニス・マスターズ・カップのダブルスにも出場した。

2006年全米オープン男子シングルスではラファエル・ナダルとの3回戦に進出した。大会前年度優勝者として出場したジャパン・オープン・テニス選手権では、2回戦で世界ランキング1位のロジャー・フェデラーに4-6, 1-6のストレートで敗れた。2007年度はダブルスでトッド・ペリーと組んで2勝を挙げた。デビスカップ南アフリカ共和国代表選手としても、2008年まで7年連続出場を果たしている。

フースと組んだ2005年ウィンブルドン選手権優勝から4年後、ムーディは2009年全仏オープン男子ダブルスディック・ノーマンと組み、決勝に進出した。決勝では第3シードのルーカス・ドロウヒー/リーンダー・パエス組に6-3, 3-6, 2-6の逆転で敗れて準優勝になり、ムーディは4大大会男子ダブルス2冠のチャンスを逃した。この後ウィンブルドン選手権男子ダブルスでも、ノーマンと組んで4年ぶり2度目の準決勝に進み、第1シードのブライアン兄弟組に6-7, 6-7, 4-6で敗れた。

ムーディは2009年1月末のSAテニスオープンの予選敗退を最後に、ATPツアーのシングルスから撤退しダブルスに専念していたが、2011年ウィンブルドン選手権を最後に32歳で現役を引退した[1]
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 1回 (1勝0敗)

大会グレード
グランドスラム (0-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (1-0)
ATPインターナショナルシリーズ (0?0)

サーフェス別タイトル
ハード (1?0)
クレー (0-0)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)

結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
優勝1.2005年10月9日 東京ハード マリオ・アンチッチ1?6, 7?6(9-7), 6?4

ダブルス: 13回 (6勝7敗)

結果No.決勝日大会サーフェスパートナー対戦相手スコア
優勝1.2005年7月3日
ウィンブルドン ステファン・フース ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン7?6(7-4), 6?3, 6?7(2-7), 6?3
準優勝1.2005年10月31日 バーゼルカーペット (室内) ステファン・フース アグスティン・カレリ


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