ウェスト・エンド・シアター
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1891年建設されたロンドンのパレス・シアター

ウェスト・エンド・シアター(West End theatre)は、ロンドンのウェスト・エンド周辺の大規模な「劇場地区」を指す用語である[1]。ニューヨークのブロードウェイ・シアターと並び、英語圏では商業演劇で最高峰のレベルにあると考えられている。ウェスト・エンドでの観劇は、ロンドンを訪れる観光客にとってポピュラーな観光目的となっている。

2013年には、チケットの売上高が1440万ポンドに達し、英語圏で最も多くの聴衆を集める場所となった[2]。著名な映画俳優、イギリス国内外の俳優らもしばしばロンドンの舞台に登場している[3]
歴史

ロンドンにおける劇場文化が花開いたのはイギリスの宗教改革後のことである。1576年、シアター座と呼ばれる最初の常設の公衆劇場が、ショーディッチ地区にジェームズ・バーベッジ(英語版)によって建設された。その後まもなくしてカーテン座が完成。いずれの劇場も、ウィリアム・シェイクスピアの劇団が使用したことで知られている。1599年、シアター座は解体され、そこから得られた建材を使用して、シティ自治体の権限の及ばない新たな劇場地区であるサザークグローブ座が建築された。1642年、これらの劇場はピューリタンにより閉鎖され、彼らの影響により1649年王位空位期間(英語版)が訪れる。

1660年の王政復古後、デュークス・カンパニー及びキングス・カンパニーの2つの劇団が公演を行う許可を得る。公演は、ライル・テニスコート劇場など、元来別の用途で用いられていた建物を劇場に転用した場所で行われていた。最初のウェスト・エンドの劇場は、トマス・キリグルー設計によるブリッジズ・ストリートのシアターロイヤルとして知られる建物で、現在ドルリー・レーン王立劇場のある場所に建設された。1663年5月7日に開館するが、9年後に火災で焼失したため、クリストファー・レン設計により新たに建築され、ドルリー・レーン王立劇場と改称された[4][5]

ウェスト・エンドの外側では、イズリントンサドラーズウェルズ劇場が1683年6月3日オープンする。この名称は、設立者であるリチャード・サドラーの名前と、この土地から僧院の泉(wells)が発見されたことにちなんで付けられたものである[6][7]。演劇上演を行う許可を与えられていなかったことから、オペラの公演を行う「ミュージック・ハウス」として運営されていた。ウェスト・エンドでは、1720年12月29日、ヘイマーケット・シアターが現在の所在地より少し北側の位置に開館する。1732年12月7日、コヴェント・ガーデンロイヤル・オペラ・ハウス開館。

勅許劇場(英語版)である2つのカンパニーは、演劇上演を独占的に行う権限を19世紀まで保持し、その他の劇団は音楽のショー以外上演できなかった。もっとも、19世紀初頭までに、ミュージックホールのショーが人気となり、出演者たちは非勅許劇場にとってメロドラマのジャンルが規制の抜け穴になることに気付いた。メロドラマは音楽を伴うものであったため、特許法に違反しなかったのである。これらのショーは、当初パブに付属した大きなホールで行われていたが、次第にショーディッチのイースト・エンドホワイトチャペルに専用劇場が建設され始めた。

たくさんの小規模な劇場やホールが開館するにつれ、ウェスト・エンドの劇場地区はその名を高めていった。1806年11月17日ストランドにアデルフィ・シアターが、1818年5月11日ウォータールー・ロードオールド・ヴィック・シアターが開館する。1843年劇場法によって劇の上演の条件が緩和され、これによってウェスト・エンドの劇場地区はさらに拡大し、1870年4月16日にはストランドにヴォードヴィル・シアターがオープンする。それから数十年の間に、ウェスト・エンドには数多くの劇場が建設されることになる。1874年3月21日ピカデリーサーカスにクライテリオン・シアターが開館、1881年には、さらに二つの劇場が登場する。10月10日ストランドに開館したのはサヴォイ・シアターで、特にギルバート&サリヴァンのコミック・オペラを上演するためにリチャード・ドイリー・カートによって建設された(より涼しく清潔な電気のライトが採用された初の劇場である)。その5日後レスター・スクウェアのパントン・ストリートにコメディ・シアター(現ハロルド・ピンター・シアター)がロイヤル・コメディ・シアターとして開館する。その3年後に名称が短縮されてコメディ・シアターと呼ばれるようになった。この劇場建設ブームは第一次世界大戦まで続く。

1950年?1960年代には、侍従長局による検閲を回避するため、多くの劇が演劇クラブを通じて制作された。1968年劇場法によって、イギリスにおける舞台の検閲はようやく廃止された。
劇場地区ディズニーライオンキングが上演されているライシーアム劇場(英語版)

ロンドンにおけるメインの「劇場地区」に属する建物はおよそ40にのぼり、ウェスト・エンドの中心周辺に位置している。伝統的には、南端がストランド、北端がオックスフォード・ストリート、西端がリージェント・ストリート、東端がキングスウェイとされているが、厳密にはこの地域から外れる場所に所在する周辺の劇場にも「ウェスト・エンド」とされるものはいくつかある(ウェストミンスターのアポロ・ヴィクトリア・シアターなど)。著名な劇場通りとしては、ドルリー・レーンシャフツベリー・アヴェニューストランドがある。上演されているのは、主にミュージカル、古典及び近代の戯曲、コメディのパフォーマンスである[8]

ウェスト・エンドにある劇場の多くは、後期ヴィクトリア様式又はエドワーディアン様式の建築で、私有のものである。その多くが建築的に優れ、壮大な新古典主義様式、ロマネスク様式、ヴィクトリア様式のファサード、豪華かつ細部まで趣向を凝らしたデザインと装飾とが、最大かつ最良の形で残されている。

しかし、古い建物であることから、足元が狭苦しい、バーやトイレのような設備が近代の劇場と比べてはるかに小さいといったことがしばしばある。建物が保存対象になっており、立地が狭い都心で、財政的にも制約があることから、快適さを上げるための大規模な工事を行うことが非常に困難になっている。2003年、シアターズ・トラストは、今後15年のうちに近代化のため、2億5000万ポンドが必要になると見積もった[9]。そして、これらの劇場の客席のうち60%について、ステージが完全には見えない席であると発表した[10]。劇場のオーナーたちは、工事のコストを賄うために税金の減免を求めたが、認められなかった。

2004年以降、しっくいの剥離による事故や、緊急の工事の必要が生じたことによる公演の中止が発生しており、2013年12月には、アポロ・シアターで、天井が崩落する事故に至った[11]。当初起きていた事故では負傷者が出たものは1件しかなかったが[12]、アポロ・シアターの事故では76人が負傷によって医学的な治療を受けることを余儀なくされた[13]

2012年には、総売上高が5億2978万7692ポンドで前年比0.27%増加、観客動員数が1399万2773人で前年比0.56%の増加となった[14]。2013年には、売上高が11%増加し5億8550万6455ポンド[15]、 集客数も増加し1458万7276人となった[16]。これは公演数が前年比でわずかに減少している中での数字である[17]
ロングラン公演世界最長のロングラン記録を持つ『ねずみとり』の本拠地、セント・マーティンズ・シアター


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