ウェストレイクビレッジ_(カリフォルニア州)
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ウェストレイクビレッジ
Westlake Village, California
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City of Westlake Village
ウェストレイクビレッジのオフィスビル前にある華美な風景
カリフォルニア州におけるロサンゼルス郡(左上図)と同郡におけるウェストレイクビレッジ市の位置
座標: 北緯34度8分31秒 西経118度49分10秒 / 北緯34.14194度 西経118.81944度 / 34.14194; -118.81944
アメリカ合衆国
 カリフォルニア州
ロサンゼルス郡およびベンチュラ郡
法人化(市)1981年12月11日[1]
行政
 - 市長フィリッパ・クレッシグ[2]
面積[3]
 - 計5.509mi2 (14.257km2)
 - 陸地5.185mi2 (13.430km2)
 - 水面0.320mi2 (0.828km2)  5.80%
標高880ft (268m)
人口 (2010年)[4]
 - 計8,270人
等時帯 太平洋標準時 (UTC-8)
 - 夏時間太平洋夏時間 (UTC-7)
郵便番号91359, 91361, 91362[5]
市外局番805, 818
FIPS code06-84438
ウェブサイト ⇒http://www.wlv.org/

ウェストレイクビレッジ(: Westlake Village)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡ベンチュラ郡に跨る計画都市である。市域の東部が法人化されたウェストレイクビレッジ市であり、ロサンゼルス郡の西端に位置している。コネホ・バレーと呼ばれる地域に入っており、ウェストレイク湖を囲む地域の半分と、主にアメリカ国道101号線より南と、ラ・ベンタ・ドライブより東の地区に広がっている。2010年国勢調査では人口8,270 人であり、2000年の8,368 人から減少していた。市内にドール・フード・カンパニーの本社がある。裕福なことと辺鄙な場所にあることで知られ、ロサンゼルス大都市圏では最大級に裕福な町と考えられている[6]

ウェストレイクビレッジの西部はベンチュラ郡のサウザンドオークス市域に入る町(地区)である。この部分の土地と事業は実際にはベンチュラ郡の記録官事務所で「ウェストレイクビレッジ」として記録されており、アメリカ合衆国郵便公社は両市に郵便番号91361と91362の両方をわりあてている。住人の大半はこの町がロサンゼルス郡の法人化市域に入っていないことを認識しているが、郡境の両側にある湖を取り巻く領域全体が入っていることは認識している。

当初の町は単純にウェストレイクと呼ばれていた。1968年と1972年の2度、その3分の2がサウザンドオークス市に併合された。1981年、残りの3分の1がウェストレイクビレッジ市として法人化された[7]
目次

1 歴史

2 地理

3 人口動態

3.1 2010年国勢調査

3.2 2000年国勢調査

3.3 収入


4 政治

5 経済

5.1 主要雇用主


6 著名な出身者

7 脚注

8 外部リンク

歴史

約3,000年前、チュマシュ族インディアンがこの地域に入って来て、ウサギなど動物を狩り、穀物やドングリを集めて暮らした。地域で現在発掘されている考古学史跡や、多色岩絵は古代チュマシュ族の世界の社会や経済の複雑さを垣間見させてくれる。1770年、ガスパル・デ・ポルトラ大尉がスペインの探検家と伝道師の隊を引き連れ、後にエル・カミノ・レアルと呼ばれることになる道を北に進んできた。この隊は、ウェストレイクビレッジの場所にあったと考えられるチュマシュ族の村近くで宿営した。この遠征隊の従軍牧師で日記作者だったフアン・クレスピ神父が「我々はかなりの広さでしかも美しい平原にいる。全てライブオークやオークの木の森があり、多くの草原や水流がある。」と記した。

スペイン人がこの地域に定着したとき、広大な土地を払下げられており、その最大のものはピコ家に与えられたランチョ・シミだった。メキシコが1821年にスペインから独立したとき。カリフォルニアはメキシコ領となり、さらに幾つかの場所が払下げられた。カリフォルニアが1850年にアメリカ合衆国に加盟したとき、後にベンチュラ郡となった土地の大半は僅か19の家族に分けられた。後のウェストレイクビレッジは、小山、小峡谷、深い峡谷および古代オークの間にあり、2つのメキシコ払下げ地の中央部にあると認識された。すなわちランチョ・エル・コネホとランチョ・ラス・ビルジェネスだった。1881年、ラッセル兄弟が牛の放牧のためにその大きな部分を購入した。歴史家でラッセッル家の子孫であるパトリシア・アレンに拠れば、アンドリュー・ラッセルが、6,000エーカー (24 km2) の土地を四輪荷馬車を使い15分間で横切るレースによって土地を買う競争に勝利し、20ドル金貨で契約した。1エーカー当たりの単価は2.50ドルだった。この地域はラッセル牧場と呼ばれるようになったが、1925年にウィリアム・ランドル・ハーストに、さらに1943年にはフレッド・アルバートソンに売却された。ラッセル家は土地を賃借して成功していた牛の放牧を続けたが、アルバートソンの会社が映画撮影用牧場として広大な土地を使った。多くの映画やテレビ番組がここで撮影されており、その中には『ロビン・フッド』、『キング・ラット』、『ラレド』、『ターザン』のシリーズ、『バック・ロジャーズ』、『ガンスモーク』、『ボナンザ』などがあった。 ウェストレイク湖

1963年、アメリカン・ハワイアン蒸気船会社が3,200万ドルで12,000エーカー (49 km2) の牧場を購入し、プルデンシャル・ファイナンシャル保険会社との共同で、「田園の中の都市」のマスタープラン策定を発注した。著名な建築家、技術者、土地開発計画課が新しい町の設計に参画し、1960年代スタイル計画郊外地の著名な例となった。

当初の領域はロサンゼルス郡とベンチュラ郡の郡境で分けられていた。1968年と1972年、ベンチュラ郡側にある8,544エーカー (35 km2) の部分がサウザンドオークス市に併合された。1981年ロサンゼルス郡側の部分、当初の約3分の1の3,456エーカー (13.99 km2) がウェストレイクビレッジ市として法人化された。カリフォルニア州法では、1つの都市が2つの郡に跨ることを禁じており、ベンチュラ郡の部分はサウザンドオークスの一部になったままである。今日までベンチュラ郡側住人の多くは実際にサウザンドオークス市域に入っていると認識していない[8]


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