ウェストモーランド伯爵
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ウェストモーランド伯爵
Earl of Westmorland

紋章記述Arms:Azure three Dexter Gauntlets backs affrontee Or Crest:Out of a Ducal Coronet Or a Bull's Head of a brindled colour armed Gold and charged with a Rose Gules Supporters:Dexter: a Griffin per fess Argent and Or collared and line reflexed over the back Sable; Sinister: a Pied or Brindled Bull collared and lined Or at the end of the line a Ring and three Staples of the last
創設回数2回
創設者ジェームズ1世
貴族イングランド貴族
初代初代伯フランシス・フェイン(英語版)
現所有者16代伯アンソニー・フェイン(英語版)
推定相続人ハリー・フェイン閣下
付随称号バーガーシュ男爵(英語版)
現況存続
モットー祭壇を汚すなかれ
(Ne Vile Fano)

ウェストモーランド伯爵(英語: Earl of Westmorland)は、イングランド貴族伯爵位の一つ。過去に2回創設されており、第1期は中世期にイングランド北部の有力貴族だったネヴィル家の嫡流が1397年から保有したが、1569年に剥奪された。2期目はその女系子孫で下院議員のフランシス・フェイン(英語版)が1624年に叙されたのに始まり、2020年現在までフェイン家によって世襲されている。
歴史
ネヴィル家初代伯ラルフ・ネヴィルとその息子12人を描いた絵画。

第1期のウェストモーランド伯に叙されたネヴィル家は、13世紀初頭から台頭し、中世に北部イングランドをパーシー家と二分する勢力を誇った貴族である[1]。13世紀後期の当主ラナルフ・ネヴィル(英語版)(1262-1331)は、1295年6月24日にレイビーのネヴィル男爵(英語版)として議会招集令状(writ of summons)を受けた[1][2][3]

第6代ネヴィル男爵ラルフ・ネヴィル(1364?1425)は、リチャード2世のもとで1397年訴追派貴族の裁判にかかわり[1]、その功績で1397年9月29日にウェストモーランド伯爵に叙された[4][5]。リチャード2世がランカスター家のヘンリー4世に王位を奪われた際にも巧みにヘンリー4世に乗り換えて1405年には初代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの反乱の鎮圧にあたった[6]

初代伯は子沢山であり、子供のうち長男の家系がウェストモーランド伯爵位を継承していく。またヤンガーサンたちの中にも妻の権利により爵位を継承する者が出た。リチャード・ネヴィルはソールズベリー伯爵位、ウィリアム・ネヴィルはフォーコンバーグ男爵(英語版)(のちケント伯に叙される)、エドワード・ネヴィル(?1476)はバーガベニー男爵(英語版)(アバーガベニー男爵)を継承している[6]

初代伯の嫡流の孫2代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル(英語版)(1408?1484)は、パーシー家の娘と結婚した[6]

5代ウェストモーランド伯ヘンリー・ネヴィル(英語版)(1525?1564)は、カトリックとしてメアリー1世を支持した[6]。その息子の6代ウェストモーランド伯チャールズ・ネヴィル(1542?1601)もカトリックだったが、1569年に北部諸侯の乱(英語版)を起こしたことで国外亡命と爵位剥奪に追いやられた[6]
フェイン家初代伯フランシス・フェイン

バーガベニー男爵ネヴィル家の女系子孫であるフランシス・フェイン(英語版)(1580?1629)は、庶民院議員を務め、1624年12月29日にイングランド貴族爵位ウェストモーランド伯爵とサセックス州におけるバーガーシュのバーガーシュ男爵(英語版)に叙された[7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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