ウェストミンスター橋
ウェストミンスター橋と、国会議事堂としても使われているウェストミンスター宮殿
基本情報
国 イギリス
所在地ロンドン
交差物件テムズ川
路線名A302号線 (en
ウェストミンスター橋(英: Westminster Bridge)は、ロンドン・テムズ川に架かる橋で、北側のウェストミンスターと南側のランベスを繋いでいる[注 1]。橋の北側の袂にはウェストミンスター宮殿とビッグ・ベンがある。また南側にはロンドン・カウンティ・ホールや観覧車・ロンドン・アイがある。下流にはハンガーフォード橋とゴールデン・ジュビリー橋、上流にはランベス橋(英語版)がある。
橋は主に緑色で塗られているが、これは庶民院の座席と同じ色である。庶民院は、国会議事堂として使われているウェストミンスター宮殿の中で、この橋に近い側に位置している。ランベス橋は赤く塗られているが、これは貴族院の座席と同じ色である[1]。2005年から2007年にかけて全面改修工事が行われ、鉄製の鼻隠の交換や、橋全体の再塗装が行われた。
現在の橋は1862年竣工の2代目である。1981年に、イギリス指定建造物の第二級建築物に指定されている[2]。
この橋はロンドンマラソン創始期にはゴール地点として用いられていた。
橋の歴史ウェストミンスター橋ロンドン橋キングストンパトニー グレーター・ロンドンでの各橋の位置関係ロンドン・アイから
ロンドン橋に最も近い橋は、600年以上ロンドン南西部のキングストン・アポン・テムズ(英語版)(キングストン)に掛けられたもので、ウェストミンスターでは渡し舟が川の両岸を結んでいた。1664年に橋を架ける計画が提案されたが、シティ・オブ・ロンドン自治体(英語版)や船頭たちの反対に遭った。1722年にも橋の構想が浮上したが、強い反対意見が出された。1729年にパトニー(英語版)に新しい木製の橋・パトニー橋(英語版)が掛けられると、議会はついに1736年にウェストミンスター橋建設を許可した。建設資金は個人資産や宝くじ、譲与金などで賄われ、1739年から1750年にかけて建設された。橋のデザインはスイス人建築家・Charles Labelye[訳語疑問点]が担当した。
この橋は、ウェスト・エンドから南ロンドン(英語版)やサウス・コースト港へ向かう交通の手段として、必要とされていたものだった。この橋が無ければ、ウェスト・エンドからの運送は、混雑したストランド街やニュー・オックスフォード街などを通って、ロンドン橋に向かわなくてはならなかった。
シティ・オブ・ロンドンはウェストミンスター橋に対抗して、1760年から1763年にかけて、ロンドン橋周辺の建物を除いて拡幅する工事を実施した。シティはブラックフライアーズ橋(英語版)の建築も開始し、この橋は1769年に開通した。他にも、キュー橋(英語版)(1759年)、バタシー橋(英語版)(1773年)、リッチモンド橋(英語版)(1777年)などがこの時期に掛けられている。
19世紀中程になると、橋は地盤沈下が顕著となり維持費も高額になっていた。このため、橋の架け替えが計画された。現在の橋はトーマス・ペイジ(英語版)が設計し、1862年5月24日に開通したものである[3][4]。長さ250m・幅26mで[4]、7つのアーチと細かな鉄細工が特徴のこの橋は、ウェストミンスター宮殿の設計者でもあったチャールズ・バリー(英語版)によってゴシック風細工が施されている。現在では、セントラル・ロンドンのテムズ川に掛かる最も古い橋となっている。
2017年3月22日には、この橋の上で暴走した車が通行人をはね、運転していた男性が国会議事堂の敷地に侵入して40人余りを死傷させるテロ事件が発生した[5][6][7][8]。
ギャラリー
1746年のウェストミンスターとランベス。工事中の橋が描かれている。ハントリー・フェリー[注 2]が現在のヴォクスホール橋付近を繋いでいる
1747年にカナレットが描いた初代ウェストミンスター橋
1750年頃の様子。橋の所有者たちは、初期の「ホースフェリー」操業者や地元の船頭たちに補償金を支払わなくてはならなかった
1789年にジョゼフ・ファーリントンが描いた絵。ここで描かれる橋は最初に建てられたものである
1835年にターナーが描いた "The Burning of the Houses of Lords and Commons" (en) [注 3]。右手にこの橋が見える[9]
1897年の地図。ランベス・パレス、ランベス橋(英語版)、ウェストミンスター宮殿、そしてこの橋が確認できる
ポップ・カルチャーでの利用橋の夜景。周囲には国会議事堂やロンドン・アイなどの名所がある橋の上にいるストリート・アーティストとロンドン・アイ