ウェストポート_(アイルランド)
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ウェストポート
Westport
Cathair na Mart

キャロウベッグ川沿いのモール


紋章

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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯53度48分0秒 西経9度31分59.88秒 / 北緯53.80000度 西経9.5333000度 / 53.80000; -9.5333000座標: 北緯53度48分0秒 西経9度31分59.88秒 / 北緯53.80000度 西経9.5333000度 / 53.80000; -9.5333000
アイルランド
地方コノート
メイヨー県
標高80 m
人口(2011)
 ? 都市部5,543人
Irish Grid ReferenceM004841
ウェブサイト ⇒www.westporttc.ie
ウェストポート鉄道駅

ウェストポート(Westport)はアイルランドメイヨー県の町である。アイルランド語での表記はCathair na Martで、「肉牛の石の砦」を意味し、Cahernamart(カアーナマート)と英語化された[1]。アイルランド西岸の大西洋の入海、クルーベイの南東端にある。

町の設計図は、近くの大邸宅ウェストポートハウスのジョン・ブラウンが、彼の雇っていた労働者や小作人の住む場所として依頼した。彼は700人の住人がいた元のカアーナマートの村を排除し、ウェストポートハウスの庭への道をあけた。[2]

現在の町の中心部は、初め1780年にJ・ワイアットによってジョージ王朝風の建築様式で設計された。そのレイアウトは、13世紀にノルマン人によって持ち込まれた中世の都市デザインの原則に従う。独特の特徴は、川が町の構成の中に取り込まれていることである。キャロウベッグ川の両岸2ブロックにわたって、低い石造りの壁が川をまたぐ数本の橋を交えた魅力的な並木道「モール(Mall)」を形成している。レイアウトにはさらに数本の並木道が含まれ、間口の狭い商業ビルにつながっている。それらはアイルランドに典型的にみられる建物だが、その多くには他類なき洗練と魅力が残されている。警察署のように、近頃こうした地区の中に作られた建物の中には、都市構造の本来の連続性の保存がもっとうまくいかなかった例もある。

現地では"the Reek"として知られている有名な巡礼山、クロー・パトリックはマリスクとレキャンベイの村の近くの町からおよそ10km西にあり、町の魅力的な背景となっている。頂上にある教会は、ウェストポートからは肉眼で辛うじて確認できる。

ウェストポートは旅行先として人気があり、クオリティ・オブ・ライフにおいて高得点を収めている[3] 。また、Irish Tidy Towns Competitionで2001年,2006年,2008年の3回最高賞を受賞しており、2012年にはアイリッシュ・タイムズ主催のアイルランド一住みよい場所コンテストでも優勝している。
歴史町中心部の時計台

ウェストポートは16世紀の城郭Cathair na Mart(由来は「肉牛の石の砦」または「縁日の街」)とそれを取り巻く住民に始まる。当時は、クルーベイを統治しUmaillとして知られていた現地の強力な船乗りO Maille 氏族の支配を受けていた。

最初のCathair na Martの村は、現在ウェストポートハウスの正面(東)の芝地があるあたりに存在していた。1本の大通りと、川へと続く路地があり、人口は700人ほどであった。[4]また、小さな港がキャロウベッグ川河口にあった。村からは西(West Road)、南(Sandy Hill Road)、東(Old Paddock Road)へそれぞれ道が通じている。1780年に、ウェストポートハウスのブラウン一家が庭園への道を開けるために町を現在の場所に移し、ウェストポートに名前を変えた。[2]

ウェストポートは史跡の街と称され、計画的に形成された町が少ないアイルランドでは珍しい存在である。[5] 町のデザインは、イングランドの建築家ジェームズ・ワイアットが手掛けた。彼はまた、スライゴ―侯爵の邸宅ウェストポートハウスを完成させ、その食堂を設計した。ウェストポートハウスは初め、1730年代にドイツ人建築家リチャード・カースルズによって、O Maille Castleが元あった場所の近くに建てられた。ジェームズ・ワイアットによる町の設計で最も注目すべき点は、キャロウベッグ川に沿った並木道、モールである。20世紀後半以降、ウェストポートは新たな地区を吸収して拡大していった。中でも人口の多い地区は、スプリングフィールド(Springfield)、キャロウベッグ・エステート(Carrowbeg Estate)、ホーカンズ・ヒル(Horkans Hill)、シダー・パーク(Cedar Park)、フェアウェイズ(Fairways)、ノックラニービレッジ(Knockranny Village)、シャーキー・ヒル(Sharkey Hill)などである。
ウェストポートハウスウェストポートハウス(2008年)

18世紀にリチャード・カースルズ、ジェームズ・ワイアットという著名な建築家たちによって設計された後、湖、テラス、庭園があり、クルーベイ、大西洋、アキル島、クレア島、アイルランドの神聖な山クロー・パトリック を見渡せる緑地の中に、ウェストポートハウスは置かれた。

ウェストポートハウスはブラウン一家が建てたものだが、一家は今もなおそれを私的に所有している。ブラウン一家は、ジャマイカの奴隷制大農園の富裕な経営者、ハウ・ピーター・ブラウン(スライゴ―侯爵二世)とその妻のヘスター・キャサリン・デ・バーグ侯爵夫人[6]、さらには16世紀の海賊でUmaillの女王グレイス・オマリーらの直系の子孫である。

ウェストポートハウスで行われる展覧会では、ハウ・ピーター・ブラウンを「奴隷の覇者」と呼称する。[7]「ブラウン氏は奴隷たちを彼らが生まれてから死ぬまで搾取し、議会の決議により奴隷制度が廃止されるまで彼らを解放しなかった。


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