ウェスティングハウス・エレクトリック
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ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション
Westinghouse Electric Corporation

以前の社名

ウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー (1886?1945)

ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション (1945?1997)

CBSコーポレーション (1997?2000)

元の種類公開会社
その後1995年にCBSを買収後、ウェスティングハウスは1997年に「CBSコーポレーション」と改称し、1999年にバイアコムと合併した(2000年に完了)。
後継

バイアコム (1952-2006)

CBSコーポレーション(2006年にバイアコムの法的後継者として設立された二代目) (2006?2019)

パラマウント・グローバル(2022年までの社名はバイアコムCBS) (2019?現在)

設立1886年8月8日 (137年前) (1886-08-08)
創業者ジョージ・ウェスティングハウス
解散2000年4月26日 24年前 (2000-04-26)(初代"CBSコーポレーション"として)
本社クランベリー郡区 、アメリカ合衆国 

ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション(: Westinghouse Electric Corporation)は、1886年にジョージ・ウェスティングハウスによって設立されたアメリカの製造会社。当初はウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニーという社名だったが、1945年にウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーションに改名した。1995年にCBSテレビネットワークを買収すると、1999年にバイアコムに買収されるまで、CBSコーポレーションと改名した。バイアコムへの合併は2000年4月26日に完了した。
概略

19世紀後半、エジソンと同時代の発明家、ジョージ・ウェスティングハウスがその発明を事業化したのが始まり。創業期においてウィリアム・スタンリーニコラ・テスラら天才的な技術者を多数擁し、交流、特に三相交流発送電による電力事業を開拓、その技術を確立した。これをイギリスのチャールズ・マーズが採り入れようと長いこと政治の世界と綱引きをして、やがてナショナル・グリッドという全国的送電網を企業体として成立させる流れにつなげた。

また主要な陸上交通であった鉄道の動力装置や、自動空気ブレーキシステム等、基礎となる安全技術の発展に貢献した。放送の黎明期においても、主要都市にラジオ・テレビ局を次々と開局。CBSを買収した当時、ウェスティングハウスが保有していたテレビ局が5局あったが、CBSの加盟局でなかった3つの都市のテレビ局はネットチェンジが行われた末、CBSの直営局となっている[注 1]。また、自らテレビ番組の製作部門も持っていた。

以来、電気、機械関係を中心に軍事用・民生用の双方で多岐に渡る事業を展開。1950年代以降は加圧水型原子炉(PWR)の開発・製造で独占的地位を占めた。

しかし、1980年代頃からそれまでの中心事業の売却や分離が相次ぐようになる。1997年には放送以外の大半の事業を売却し、社名も伝統的なウェスティングハウスからCBSコーポレーションへ変更した。1998年には最後に残っていた製造部門である原子力部門も英国核燃料会社(BNFL)社に売却した。

そして最終的に1999年、CBSコーポレーション本体もバイアコムによって買収され、1886年に創業したアメリカの歴史的企業はその幕を閉じた。
現存する同名企業

ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション(英語版)とウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーの2社は旧・ウェスティングハウス・エレクトリックの流れを汲み、現在も同名で商売を行っている。

「コーポレーション」はCBSコーポレーションが1998年に新設した子会社で、「ウェスティングハウス」の商標ブランドの管理をおこなっている。現在はCBSコーポレーション(旧・バイアコム。旧・WECの同名会社とは別会社)の傘下にあり、この会社からのライセンスにより、ウェスティングハウス・ブランドの液晶テレビなどの製品が販売されている。

「カンパニー」(現・ウェスティングハウス・エレクトリック社)は、CBSコーポレーションが1998年に売却した旧・WECの原子力部門で、英国核燃料会社(BNFL)を経て2006年からは東芝グループとなり、多国籍企業として原子力関連事業を運営していた。2017年3月29日に米連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク州連邦裁判所に申請。2018年1月4日にブルックフィールド・ビジネス・パートナーズ(英語版)へ売却された[1]
沿革
1880年代、1890年代(創業期)

1846年ペンシルバニア鉄道が創業。

1886年、発明家のジョージ・ウェスティングハウスにより、ペンシルベニア州ピッツバーグにてウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(Westinghouse Electric Company)として創業する[2]。最初の特許申請は「発電のシステム」だった[3]

1888年、ジョージ・ウェスティングハウスはニコラ・テスラから多相交流システムと誘導モーターの特許を取得した。

1889年、社名をウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー(Westinghouse Electric & Manufacturing Company)に変更。

1890年、最初の長距離送電線を導入。ウィラメット滝からオレゴン州ポートランドまでの14マイルをカバーした。

1891年、世界初の商業用交流発電システム(エームズ水力発電プラント)を建設。高圧送電線で、カリフォルニア州ポモナ、サンアントニオキャニオン、サンバーナーディーノを繋ぐ。

1893年シカゴ万国博覧会を50万個のライトでライトアップし、二相交流発電機や配電システムを展示。送電方法に関するゼネラル・エレクトリック社との争いに勝利。

1894年、実用的多相誘導モーターを初めて導入した。

1895年ニューヨーク州バッファローへの電力供給用に、ナイアガラ滝に水力交流発電機を設置。

1899年ブリティッシュ・ウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー(British Westinghouse Electric and Manufacturing Company)を設立。

1900年代?1920年代(事業拡大・変革期)

1900年、ハートフォード電灯社のために蒸気タービン発電機を製造。既に50000人近くを雇用する企業となっていた。

1901年コネチカット州ブリッジポートのブライアント・エレクトリック・カンパニーを買収(ブライアント・エレクトリック・カンパニーは子会社として存続)。

1904年、東ピッツバーグ研究所に6人からなる工業研究部門を設立。

1906年、正式に研究部門を設立。

1909年、初のタングステン・フィラメント電球を発売。


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