ウェスチングハウス
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この項目では、1886年から1999年まで存在したアメリカ合衆国総合電機メーカーについて説明しています。

東芝原子力発電関連企業については「ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー」をご覧ください。

その他については「ウェスティングハウス (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ウェスティングハウス・エレクトリック (Westinghouse Electric Corporation) は、1886年から1999年まで存在したアメリカ合衆国総合電機メーカー。略称はWHないしはWEC。

正式社名は数度変更されたが、第二次世界大戦が終戦するまではWestinghouse Electric & Manufacturing Company(ウェスティングハウス電気製造会社)として良く知られていた。1945年から1997年まではWestinghouse Electric Corporation(ウェスティングハウス・エレクトリック社)であった。歴史的な経緯からGEのライバル企業として見なされていたが、1997年にCBSコーポレーションと名を変え、1999年にバイアコムによる買収を経て消滅した。目次

1 概略

2 現存する同名企業

3 沿革

3.1 1880年代、1890年代(創業期)

3.2 1900年代?1920年代(事業拡大・変革期)

3.3 1930年代、1940年代

3.4 1950年代?1970年代

3.5 1980年代

3.6 1990年代(終焉期)


4 ウェスティングハウス・ブランドのライセンス

4.1 現在のライセンシー


5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

概略

19世紀後半、エジソンと同時代の発明家、ジョージ・ウェスティングハウスがその発明を事業化したのが始まり。創業期においてウィリアム・スタンリーニコラ・テスラら天才的な技術者を多数擁し、交流、特に三相交流発送電による電力事業を開拓、その技術を確立した。これをイギリスのチャールズ・マーズが採り入れようと長いこと政治の世界と綱引きをして、やがてナショナル・グリッドという全国的送電網を企業体として成立させる流れにつなげた。

また主要な陸上交通であった鉄道の動力装置や、自動空気ブレーキシステム等、基礎となる安全技術の発展に貢献した。放送の黎明期においても、主要都市にラジオ・テレビ局を次々と開局。CBSを買収した当時、ウェスティングハウスが保有していたテレビ局が5局あったが、CBSの加盟局でなかった3つの都市のテレビ局はネットチェンジが行われた末、CBSの直営局となっている[1]。また、自らテレビ番組の製作部門も持っていた。

以来、電気、機械関係を中心に軍事用・民生用の双方で多岐に渡る事業を展開。1950年代以降は加圧水型原子炉(PWR)の開発・製造で独占的地位を占めた。

しかし、1980年代頃からそれまでの中心事業の売却や分離が相次ぐようになる。1997年には放送以外の大半の事業を売却し、社名も伝統的なウェスティングハウスからCBSコーポレーションへ変更した。1998年には最後に残っていた製造部門である原子力部門も英国核燃料会社 (BNFL)社に売却した。

そして最終的に1999年、CBSコーポレーション本体もバイアコムによって買収され、1886年に創業したアメリカの歴史的企業はその幕を閉じた。
現存する同名企業

ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション(英語版)とウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーの2社は旧ウェスティングハウス・エレクトリックの流れを汲み、現在も同名で商売を行っている。

「コーポレーション」はCBSコーポレーションが1998年に新設した子会社で、「ウェスティングハウス」の商標ブランドの管理をおこなっている。現在はCBSコーポレーション(旧バイアコム。旧WECの同名会社とは別会社)の傘下にあり、この会社からのライセンスにより、ウェスティングハウス・ブランドの液晶テレビなどの製品が販売されている。

「カンパニー」(現ウェスチングハウス・エレクトリック社)はCBSコーポレーションが1998年に売却した、旧WECの原子力部門で英国核燃料会社(BNFL)を経て、2006年からは東芝グループとなっている。多国籍企業として原子力関連事業を運営していた。2017年3月29日に米連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク州連邦裁判所に申請した。
沿革
1880年代、1890年代(創業期)

1886年、発明家のジョージ・ウェスティングハウスにより、ペンシルベニア州ピッツバーグにてウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(Westinghouse Electric Company )として創業する[2]。最初の特許申請は「発電のシステム」だった[3]

1888年、ジョージ・ウェスティングハウスはニコラ・テスラから多相交流システムと誘導モーターの特許を取得した。

1889年、社名をウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー(Westinghouse Electric & Manufacturing Company )に変更。

1890年、最初の長距離送電線を導入。ウィラメット滝からオレゴン州ポートランドまでの14マイルをカバーした。

1891年、世界初の商業用交流発電システム(エームズ水力発電プラント)を建設。高圧送電線で、カリフォルニア州ポモナ、サンアントニオキャニオン、サンバーナーディーノを繋ぐ。

1893年シカゴ万国博覧会を50万個のライトでライトアップし、二相交流発電機や配電システムを展示。送電方法に関するゼネラル・エレクトリック社との争いに勝利。

1894年、実用的多相誘導モーターを初めて導入した。

1895年ニューヨーク州バッファローへの電力供給用に、ナイアガラ滝に水力交流発電機を設置。

1899年、ブリティッシュ・ウェスティングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー(British Westinghouse|British Westinghouse Electric and Manufacturing Company )を設立。

1900年代?1920年代(事業拡大・変革期)

1900年、ハートフォード電灯社のために蒸気タービン発電機を製造。既に50000人近くを雇用する企業となっていた。

1901年コネチカット州ブリッジポートのブライアント・エレクトリック・カンパニーを買収(ブライアント・エレクトリック・カンパニーは子会社として存続)。


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