ニューヨーク州ウェイン郡
ライアンズにあるウェイン郡庁舎
郡のニューヨーク州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1823年
郡庁所在地ライアンズ
ウェイン郡(英: Wayne County)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の西部に位置する郡である。オンタリオ湖の南岸にあり、カナダ=アメリカ合衆国国境の一部をなしている。人口は9万1283人(2020年)[1] 。郡庁所在地はライアンズ村であり、同郡で人口最大の自治体はニューアーク村である。郡名はアメリカ独立戦争の英雄かつ政治家だったアンソニー・ウェイン将軍に因んで名づけられた。
ウェイン郡はロチェスター都市圏に属している。郡の設立初期はアメリカ合衆国が西方へ拡大していた時であり、国境に接し、また肥沃な農業地域にあったことで、文化や経済の歴史に富んでいる。郡域から2つの世界的宗教の動きが生まれた。また南北戦争に繋がる時期には奴隷制度廃止運動で重要な役割を演じた。五大湖の帆船による交易とエリー運河の艀による輸送によって、19世紀には世界でも最も生産性の高い果物生産地域と認識されていた。現在もニューヨーク州でリンゴの生産量は第1位である。 ウェイン郡となった地域にヨーロッパ人が入ってくる以前、1142年8月31日頃から存在したイロコイ連邦の領土だった[2]。1683年にニューヨーク植民地で郡が作られたとき、現在のウェイン郡地域はオールバニ郡に属していた。これは巨大な郡であり、ニューヨーク州北部とバーモント州の全てを含んでおり、さらに理論的には西の太平洋岸まで広がっていた。1804年、何度か小分割する動きの後で、カユガ郡からセネカ郡を分離し、1817年にはカユガ郡とセネカ郡の一部を合わせて、トンプキンス郡を設立した。 ウェイン郡は1823年4月11日にセネカ郡とオンタリオ郡の一部を合わせて設立された。"マッド・アンソニー"・ウェイン この地域に入ってきた最初のヨーロッパ系開拓者は、現在のパルミラの西、ガナーグア川沿いに入植した。1788年、この地域はマサチューセッツ州がオリバー・フェルプスとナサニエル・ゴーラムに売却した広さ600万エーカー (24,000 km2) の土地の一部となった。1790年、イギリスの准男爵で土地投機家であるウィリアム・プルトニーがプルトニー協会の共同経営者と共に、フェルプスとゴーラムが購入していた土地の中から100万エーカー (4,000 km2) を購入した[3]。 西に向かう最初の道路はユーティカ近くからジェニーバに繋がるものであり、1800年にカユガ橋が建設され、西に向かう旅人のほとんど全てが選択する道路になった。この道のために後のウェイン郡領域を幾分孤立した状態にしており、ここに入ろうという開拓者は道の北にある水流や湖を伝って入ってきた。それから数年後にウェイン郡を通る新しい道が建設され、肥沃なガナーグア川沿いの土地が容易に使えるようになった[4]。 最初の恒久的開拓地は1789年3月にジョン・スウィフトとジョン・ジェンキンス大佐が始めたものであり、パルミラから約2マイル (3 km) に位置にあった。同年5月、スタンセル家とフェザリー家が作った小さな開拓地がガナーグア川とカナンダイグア・アウトレットの合流点に作られ、フランスのローヌ地方の都市の地形に似ていたことからライアンズ(リヨン)と名付けた[4]。 フェルプスとゴーラムは開拓者に土地を売る一方で、土地の代金を支払うことができず、マサチューセッツ州に返却するか、独立戦争の財務官かつアメリカ独立宣言署名者だったロバート・モリスに転売あるいは移管した。モリスは約120万エーカー (4,900 km2) を、ウィリアム・プルトニーと2人の共同経営者が所有するプルトニー協会に転売した。このプルトニー買収、あるいはジェネシー・トラクトと呼ばれた土地は、現在のオンタリオ郡、スチューベン郡、イェーツ郡の全部と、アリゲイニー郡、リビングストン郡、モンロー郡、スカイラー郡およびウェイン郡の一部からなっていた。
歴史
西方への拡大