ウェインズボロ市
City of Waynesboro
ウェインズボロ市中心街のメインストリート、種蒔き前の山は禿げている。左端は修復中のウェイン劇場
位置
バージニア州におけるウェインズボロ市の位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度4分12秒 西経78度53分40秒 / 北緯38.07000度 西経78.89444度 / 38.07000; -78.89444
ウェインズボロ(英: Waynesboro、元フラック[1])は、アメリカ合衆国バージニア州中央部に位置する独立市である。周りをオーガスタ郡に取り囲まれている。2010年国勢調査での人口は21,006人だった[2]。市名はアンソニー・ウェイン将軍に因んで名付けられた。
シェナンドー・バレーに位置し、南北戦争の重要な史跡やシェナンドー国立公園に近い。州間高速道路64号線の一部が市域に入っており、ブルーリッジ・パークウェイ、スカイライン・ドライブ、アパラチアン・トレイルにも5マイル (8 km) と離れていない。風景画家P・バックリー・モスの故郷であり、P・バックリー・モス美術館には毎年45,000人の観賞者が訪れている。大型のデュポン工場(現在はインビスタ、コッホ・インダストリーズが所有)、スパンデックス繊維のライクラが発明されたベンジャー研究所、ウェイン・テックスという大型繊維工場(モホーク・インダストリーズが所有)が、20世紀の大半を通じて市民の主要雇用主だった。北東にあるゼネラル・エレクトリックはリレーとコンピュータ用プリンタを製造しており、やはり重要な雇用主だった。市内には Ntelos の本社がある。この会社はバージニア州、ウェストバージニア州、ノースカロライナ州、テネシー州、ケンタッキー州、オハイオ州を対象とする無線通信会社である。市の経済には観光業、製造業、小売業が重要であり続けている。バレー・ベースボールリーグのウェインズボロ・ジェネラルズが本拠地にしている。
ウェインズボロ市はスタントン・ウェインズボロ大都市圏の主要都市である。この都市圏にはオーガスタ郡、やはり独立市のスタントン市、およびウェインズボロ市が含まれている。 ウェインズボロ市はイギリス領バージニア植民地の中にあり、アメリカ独立戦争から独立、バージニア州となった後でも、アパラチア山脈やブルーリッジ山脈の西側はフロンティアと呼ばれていた。荷車を引いた山越えは不可能に近かったが、その間に幾つかの谷があった。ウェインズボロの近くには風隙のロックフィッシュギャップと呼ばれる谷があり、西部に向かおうとする多くの者にとって、ウェインズボロが便利な休息点になった。 この地域は初期にティーズビルと呼ばれていた。この名前の由来には幾つかの説がある。1つはジェイコブ・ティーズとその妻が所有していた酒場に因むというもの、2つめはティーズ兄弟に因むというものである。ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、シャトリ侯爵など多くの者がティーズの酒場に泊まったと考えられている[3]。シャトリ侯爵が書いた手紙には、この酒場がアメリカ最悪クラスのものであると表現し、ジェファーソンがそこに泊まり、その場所について語っていたことを確認している。 北西インディアン戦争中の1794年、フォールン・ティンバーズの戦いで、アメリカ陸軍アンソニー・ウェイン将軍が重要な勝利を掴んでから間もなく、この地域がウェインズボロ(Waynesborough)と呼ばれ始めた。地域開拓者の多くがペンシルベニア州から来ていたので、そこの出身である英雄から土地の名前を付けたのはあり得る話である。後に綴りが代わって現在のもの(Waynesboro)になった。 1798年には現在の中心街が区画割りされ販売された。1801年1月8日、ウェインズボロの町が正式にバージニア州に認知され、1834年には法人化された。
歴史