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ウイッカ(英: Wicca)は、ネオペイガニズム[注 1]の一派であり、欧州古代の多神教的信仰、特に女神崇拝を復活させたとする新宗教である[3]。ネオペイガニズムの一種である魔女術[1](ウイッチクラフト)のなかでも多数派を占めるとされ[4]、少人数で集団儀式を行うことを特徴とする[1]。主に英語圏でみられるが、日本にも存在する。ウイッカを信仰・実践する人をウイッカン(英: Wiccan)という。
ウイッカという言葉はもともと、ジェラルド・ガードナーの創始した現代ウイッチクラフト運動(英語版)において、1960年頃から魔女の宗教の呼称として使われるようになったもので、厳密にはガードナー派ウイッチクラフト(英語版)とアレクサンダー派ウイッカ(英語版)[注 2]を指していた[6]。参与観察によるウイッチクラフトの調査を行った人類学者スーザン・グリーンウッドは、ウイッカをウイッチクラフトの特定の流派というよりも現代ウイッチクラフトの別称として用いている[7]。日本では、魔女(ウイッチ)の宗教としてのウイッチクラフトとウイッカの別称として「魔女宗」という言葉も使われている[6]。 ウイッカはジェラルド・ガードナーが1954年に発表した 『今日の魔女術』(Witchcraft Today)から広まった。その書物の中でガードナーは自分がイニシエーション(加入礼、秘儀参入)を受けたウイッチクラフトは欧州のキリスト教以前の多神教が現代に生き延びたものだと主張したのである。同書中でガードナーは 古英語: Wicca に似た綴りの Wica という言葉を用いた。ただしガードナーはこれを自分のウイッチクラフト伝統の信奉者を表す男性名詞として使ったのであり、魔女の宗教のことはウイッチクラフトと呼んでいた。宗教の呼称としての Wicca は1960年頃より使われるようになったものであり、本来は、現在では「ガードナー派ウイッカ」と呼ばれているガードナーの系列のウイッチクラフト、およびこれとよく似た流派であるアレクサンダー派のウイッチクラフトを指す言葉であった[6]。以降、魔女の宗教としてのウイッチクラフトはさまざまな形で発展し、派生的なさまざまな流派をも含めた包括的な呼称としてウイッカという言葉が一般化したが、直接ガードナーの系譜を引くウイッチクラフト流派のみをウイッカと呼ぶ向きもある。伝統的なウイッカでは参入のためにイニシエーションが必要だが、「ソロのウイッカン」(Solitary Wiccan)としての立場を主張し、既存のウイッカンからのイニシエーションを必要としないとする立場の者も増えている。それらの「新興ウイッカ」と伝統的なウイッカは、形は似ているが、精神的な部分や思想の理解に違いが出ることが多い。 ウイッカの歴史に関しては論議が喧しい。ガードナーの主張では、ウイッカは欧州先史時代の多神教の生き残りである。ガードナーはドロシー・クラッターバックという老婦人の導きで魔女の宗教に参入した。一部の人々はウイッカはガードナーが再構築した宗教だと考えている。現代のウイッチクラフト復興運動の先駆けとなったのは、先史時代から続く魔女宗教 (Witch-cult) が存在していたと唱えた英国のエジプト学者マーガレット・マリー[注 3]の学説と、米国のフォークロア研究家チャールズ・ゴッドフリー・リーランドの『アラディア、あるいは魔女の福音』(Aradia, or the Gospel of the Witches)である[9]。ガードナーはその独自のウイッチクラフトの構築に際して、マーガレット・マリーの著作から多大な影響を受けた[10]。また、それと同時にガードナーは魔術実践に関心を持ち[11]、フリーメイソンリーや薔薇十字系の団体に関係していた人物でもあり[12]、そのウイッチクラフト体系には高等魔術
歴史
ウイッカのおこり
ガードナーは1939年にニューフォレストにあるクラッターバック運営のカヴンでイニシエーションを受け、英国で1951年に廃止された魔女禁止令が解けるまでの数年をそこで過ごしたと主張している(事実かどうかは明らかでない[13])。教え(術)が消えてしまうのを恐れて(とガードナーは主張している)、Witchcraft Today(1954年)に着手した。次いで、The Meaning of Witchcraft(1960年)(『ウイッチクラフトの意味』)を著わし、これらの書物がウイッカの表向きな知識を広めるきっかけとなった(本来のウイッカは本では紹介することができない)。
ウイッカの儀式のスタイルがヴィクトリア朝後期のオカルティズムを受け継ぐことには疑いがない(ガードナー派ウイッカに大きな影響を与えたドリーン・ヴァリアンテもアレイスター・クロウリーらの影響が見られることを認めている)。しかし、その精神的・宗教的な内容は古の多神教の信仰を受け継ぐものである。当時の多神教にたいする理解(昔はこうであったに違いないという考え)に基づき、それを復興しようとした点に古代の多神教との歴史的繋がりがある。 ガードナーの時代には、原始的な母系信仰は学者(例えば心理学者エーリッヒ・ノイマン、マーガレット・マリー)のあいだでも、アマチュア(ロバート・グレイヴスなど)のあいだでもよく知られていた。それは結局の所ヨーハン・ヤーコプ・バハオーフェンの研究に由来するものであった。アカデミックな研究はそれ以降も続いた。例えば心理学者カール・グスタフ・ユング、考古学者マリヤ・ギンブタスである。さらに後には神話学者ジョーゼフ・キャンベル、アシュリー・モンタギュー
多神教に関する当時の研究
イギリスのヴィクトリア朝とエドワード朝の文学においては、偉大なる母なる神という発想は一般的であった。有角神、ことにパンまたはファウヌスに関係した神々は、母なる神ほどには一般的でなかったが、それでもなお重要であった[14][注 4]。