「ウィスキー税反乱」とは異なります。
ウイスキー戦争ハンス島にデンマーク国旗を掲げる哨戒艦トリトン
のパー・スタークリント大佐(2003年8月1日)ウイスキー戦争(ウイスキーせんそう、英語: Whisky War, フランス語: Guerre du whisky)は、ネアズ海峡に位置するハンス島の領有権を巡り、カナダとデンマークによって争われた領土紛争の俗称である[注 1][注 2]。この領土紛争は、1973年12月17日に両国間の海洋境界線が画定してから、2022年6月14日にハンス島を分割領有することで合意するまで続いた[2]。
1984年、カナダ軍がハンス島に上陸し、カナダ国旗を掲げるとともにカナディアン・ウイスキーのボトルを置いて挑発したため[3][4]、デンマーク政府はシュナップスのボトルを残してこれに応戦した[5][6][注 3]。これ以降、両国の軍や政治家が入れ替わりに上陸しては、相手国への置き土産として酒類を残していくことが慣例となったため[2][7]、この領土紛争はユーモアをこめて「ウイスキー戦争」「蒸留酒戦争」[注 4]と表現されるようになった[8]。「最も消極的で積極的な領土紛争」[注 5]「最も友好的な戦争」[注 6]と表現されることもある[9]。
背景
地理的背景グリーンランド側から見たハンス島(2012年8月15日)「ハンス島」も参照
ハンス島はネアズ海峡に位置する面積1.3平方キロメートルの無人島であり、カナダのエルズミア島、デンマークのグリーンランドに挟まれている。エルズミア島とグリーンランドからは約18キロメートル離れているが、これは海洋法に関する国際連合条約に基づいてカナダとデンマークの双方が主権を主張できる距離である。
海面から露出している部分は、主にシルル紀中期に暖かく浅い海で堆積した変成していない化石石灰岩で構成され、その表面をグリーンランドの谷氷河に由来する石灰岩礫、片麻岩、花崗岩が覆っており、地質学的にはエルズミア島のアレン・ベイ層、グリーンランドのカプ・モートン層の一部である[10]。植生はほとんどなく、鉱物資源にも乏しい[10]。 ハンス島は雪や氷で覆われていることも珍しくなく、沿岸部を強い海流が流れているため人が立ち入ることは少ない[11]。14世紀以降、グリーンランドのイヌイットが狩猟場所または流氷の観測場所として使っていたと思われるが[12]、欧米の遠征隊が訪れるまでは他の世界にその存在を知られていなかった[11]。 1850年代から1880年代、アメリカ合衆国やイギリスの遠征隊によってグリーンランド北西部周辺の探検が行なわれた。1845年に行われ失敗したフランクリン遠征の生存者を捜索するものや、北西航路の発見、北極点への到達を目指すものなど、探検の目的は様々であった[12]。ハンス島を発見・命名した欧米の遠征隊は、1853年から1855年に行われた、アメリカ合衆国の第2次グリネル遠征
歴史的背景
有史以前
19世紀
1880年、カナダ(当時はイギリスの自治領[13])にイギリスの北極圏の領土が譲渡された際[3][9]、16世紀の地図が参照されたため、ハンス島がイギリスからの譲渡対象に含まれるかは明確にされなかったが、この問題は以後数十年にわたって気付かれないままであった[4]。
20世紀「グリーンランドの歴史#20世紀前半」も参照
1890年代から1910年代、デンマークの主権はグリーンランド北西部周辺に及んでおらず、ロバート・ピアリーやドナルド・バクスター・マクミランなどの活躍により、アメリカ合衆国がグリーンランド北西部周辺の領有権を主張できる可能性があった[5]。しかし、1917年、デンマークからヴァージン諸島を2,500万ドルで購入する引き換えに、アメリカ合衆国はグリーンランド北西部周辺の領有権を放棄した[5][14]。