ウィー・キムウィー
黄金?
第4代シンガポール共和国大統領
任期
1985年9月2日 ? 1993年9月1日
首相リー・クアンユー
ゴー・チョクトン
前任者ヨー・ギム・セン
ウィー・キムウィー(Wee Kim Wee、黄金輝、黄金?、日本語読み:こう・きんき、1915年11月4日 ? 2005年5月2日)は、シンガポールの政治家、1985年から1993年まで在任した第4代シンガポール共和国大統領。 1915年11月4日、ウィー・キムウィーは、ウィー・チュンレイ(Wee Choong Lay)とその妻チュア・レイファ(Chua Lay Hua)、ないし、チュア・へイルアン(Chua Hay Luan)の息子として生まれた。父ウィー・チュンレイは船のパーサー(事務責任者)だったが、ウィー・キムウィーが6歳の時に失明した。ウィー・キムウィーが8歳のとき父は死去し、同じく19歳のとき母も死去した。初等教育をパールズ・ヒルの学校で受けた後、ラッフルズ・インスティチューション 1930年、ウィーは、『ザ・ストレーツ・タイムズ』紙で事務員として働き始め、後には政治問題を専門とする新聞記者となった。やがて同紙の看板記者のひとりとなる。21歳の記者であった1936年には、コ・ソクヒョン(許淑香、Koh Sok Hiong、?淑香)と結婚した[2]。 1941年、ウィーはUP通信社に転じ、1950年代にはシンガポールの主任通信員を務めた。1959年、古巣の『ザ・ストレーツ・タイムズ』紙に戻り、シンガポールの編集長代理となった。1963年には公共服務章
生い立ち
経歴
1930年?1973年:ジャーナリズム
1973年には、『ザ・ストレーツ・タイムズ』紙の編集局長として公共服務星章 (Bintang Bakti Masyarakat (BBM)) を授章した[4]。 ウィーは1973年にジャーナリストを引退し[5]、マレーシア駐在の高等弁務官(イギリス連邦加盟国間で特命全権大使の代わりに交換する外交使節長)となって7年間その任にあった。その後、1980年9月には駐日シンガポール大使、1981年2月には駐韓シンガポール大使
1973年?1984年:外交
日本駐在時代にはおしんを視聴しており、帰国後シンガポールで(おしんを)放送出来る様にNHK放送センターと交渉した結果、放送が実現した功績もある。 1985年、ウィーはシンガポール共和国大統領となり、その任期中においてシンガポール国立大学理事長 (Chancellor) となった。ウィーの2期目の任期まで、大統領候補の選任は国会の専権事項だった。ウィー大統領の2期目の途中だった1991年1月に、国会は憲法を修正し、大統領の直接選挙を導入し、公職者の任命や政府準備金の取り崩しに関する国会の決定に対して大統領が拒否権をもつように制度を改めた。 選挙で選出される大統領職の新設は、シンガポールの歴史において、最も重大な憲政上の変革であり、この憲法修正は政府の予算や公職者の任命についての拒否権によって、大統領の権限を強化するものであった。大統領は、国内保安法
1985年?1993年:大統領
シンガポールで初めて実施される、民衆の選挙による大統領選挙を前に、現職のウィーはウィーは出馬せず、大統領としての2期目の任期を全うした上で引退することを決めた。1993年には、ダルジャ・ウタマ・テマセク最高勲章 (Darjah Utama Temasek) を受章した[4]。 大統領退任後のウィーは、結婚登録所
1994年?2004年:晩年
1999年には、キャセイ・オーガニゼーション・ホールディングス(英語版)の重役となった[4]。
2004年、ウィーは自伝『Glimpses and Reflections』を出版した。その印税などから、50万シンガポール・ドルが8つの慈善団体に寄付された。
死と残されたもの(英語版)の自宅で、前立腺癌のため89歳で死去した。生前、ウィーは火葬を望み、重要人物が通常葬られるクランジ戦没者墓地(英語版)ではなく、一般市民と同じくマンダイ納骨堂(英語版)に遺灰を収めてほしいと言っていた。ウィーの遺体を安置したシンガポールの大統領官邸「イスタナ(英語版)」で行われた国葬には、多数が弔問に訪れた。
残された家族は、当時69歳だった妻コ・ソクヒョン(1916年-2018年)[6][7]、息子ビル・ウィーホッキー (Bill Wee Hock Kee) と6人の娘たち、13人の孫、14人のひ孫であった。
2006年、南洋理工大学は、コミュニケーション学部 (School of Communication Studies) をウィーに因んでウィー・キムウィー・コミュニケーション情報学部 (Wee Kim Wee School of Communication and Information) と改称した[8]。
シンガポールマネージメント大学の文化交流研究センター (Centre for Cross-Cultural Studies) は、ウィーに因んでウィー・キムウィー・センター (Wee Kim Wee Centre) と改称した[9]。