ウィーン条約_(1738年)
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ウィーン条約(ウィーンじょうやく、: Frieden von Wien, : Pokoj wiede?ski, : Traite de Vienne, : Trattato di Vienna, : Treaty of Vienna)は、1738年11月18日に締結された、ポーランド継承戦争講和条約ラテン語で書かれた国際条約としては1739年のベオグラード条約とともに最後のものとなった。条約により、スタニスワフ・レシチニスキはポーランド王位を放棄し、ザクセン選帝侯アウグスト3世を承認した[1]。補償として、死後フランス王国に割譲されることを条件に、スタニスワフはロレーヌ公国バル公国を受け取った[1]。スタニスワフは1766年に死去した。当時のロレーヌ公フランツ・シュテファンは補償として、メディチ家最後の男子ジャン・ガストーネが1737年に死去した後空位となっていたトスカーナ大公国を受け取った。またフランスは1713年の国事詔書を承認し、ハプスブルク家ナポリ王国シチリア王国をスペイン王フェリペ5世の息子のパルマ・ピアチェンツァ公カルロに割譲した。その代わり、カルロはパルマ公国をハプスブルクに割譲、トスカーナ公国への請求も放棄した。
脚注^ a b Lindsay, J. O. (1957) The New Cambridge Modern History Cambridge University Press, Cambridge, England, page 205, ISBN 0-521-04545-2


更新日時:2019年7月19日(金)16:17
取得日時:2019/08/17 14:32


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