ウィンフィールド・スコット・ハンコック
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ウィンフィールド・スコット・ハンコック
Winfield Scott Hancock
1824年2月14日-1886年2月9日(61歳没)
ウィンフィールド・S・ハンコック将軍
渾名極上のハンコック
生誕 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州モンゴメリービル(英語版)
死没 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ガバナーズ島
軍歴1844年-1886年
最終階級少将
指揮ポトマック軍第2軍団
中央方面軍
ダコタ方面軍
大西洋方面軍
戦闘

米墨戦争南北戦争
除隊後民主党大統領候補者(1880年)
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ウィンフィールド・スコット・ハンコック(英語: Winfield Scott Hancock, 1824年2月14日 - 1886年2月9日)は、アメリカ合衆国陸軍の職業軍人であり、1880年には民主党の大統領候補に指名された。
概要

40年間にわたって陸軍で功績を残し、米墨戦争に参戦し、北軍の将軍として南北戦争を戦った。僚友からは「極上のハンコック」(Hancock the Superb)と呼ばれており[1]1863年ゲティスバーグの戦いでは、その個人的な指導力で特に注目された。ある軍事史家は「ゲティスバーグに参加した北軍の将軍で、ハンコックほど完全にその存在感を示すことで部隊に君臨した者はいなかった」と書いた[2]

もう一人の著作家は「彼の戦術的技術によって、競争者も直ぐに彼を賞賛することになり、「ポトマック軍の雷」として彼を知ることになった」と書いた[3]

南北戦争の後も、レコンストラクション中の南部の軍事支配に参加し、また西部フロンティアにも駐屯した。

南北戦争後、ハンコックの軍人としてまた保守的な護憲的原則の保持者としての評判によって、大統領選挙で候補者と目された。その注目すべき高潔さは政治腐敗の時代に際だつものであり、ラザフォード・ヘイズ大統領は「もし、軍人としても文民としての生活においても人目を引く公僕の姿を作り上げるとき、我々はまずそして主にその人間性、高潔さ、清潔さ、一途さおよび義務に対する無私の献身ということを考慮に入れ、ハンコックのことは徹底的に純金であると心から言うことができる」と言った[4]。この全国的な人気があって、民主党は1880年アメリカ合衆国大統領選挙でハンコックを大統領候補に指名した[5] 。力強い選挙戦を戦ったものの、共和党の候補者ジェームズ・ガーフィールドに、アメリカ史の中でも最小の票差で敗れた[6]
生涯
生い立ちと家族

ウィンフィールド・スコット・ハンコックは一卵性双生児の兄弟ヒラリー・ベイカー・ハンコックと共に、1824年2月14日ペンシルベニア州フィラデルフィアからはすぐ北西にある小村モンゴメリー・スクェアで生まれた。そこは、現在ではモンゴメリー郡モンゴメリー町となっている[7]。この双子の両親は、ベンジャミン・フランクリン・ハンコックとエリザベス・ホックスワース・ハンコックだった[8][9]。ハンコックの名前は、米英戦争やその後の米墨戦争で活躍し、南北戦争の開始時点ではアメリカ陸軍総司令官であったウィンフィールド・スコットに因む命名だった[7]

ハンコック家と母方のホックスワース家は、数世代にわたってモンゴメリー郡に住んでおり、その先祖はイングランド人スコットランド人およびウェールズ人であった[10]。父親のベンジャミン・ハンコックは息子達が生まれたときに学校の教師をしていた。ハンコック生誕から数年後に、家族ごと郡庁所在地のノリスタウンに転居し、法律の実務を始めた[7]。父はバプテスト教会の助祭でもあり、(自称民主党員として)市政にも参加した[7]

ハンコックは当初ノリスタウン・アカデミーで教育を受けたが、1830年代にノリスタウンで初めての公立学校が開校されるとそこに移った[11]1840年、地元の連邦議会議員ジョセフ・フォーナンスがハンコックをウェストポイント陸軍士官学校入学者に指名した[12]。ウェストポイントでの成績は平均的であり、1844年に卒業し、歩兵隊に配属された[13]
軍歴の開始
米墨戦争ハンコックの名前を貰った米墨戦争指揮官ウィンフィールド・スコット

ハンコックは第6歩兵連隊の名誉少尉に任官され、最初はレッドリバー渓谷のインディアン・テリトリーに駐屯した。この地域は当時静穏であり、平穏無事な時間を過ごした[14]1846年に米墨戦争が勃発し、ハンコックは前線での任務を得るために動いた[15]。当初はケンタッキー州で新兵を徴兵する任務に就き、兵士達に入隊登録させる仕事に適していることが分かったので、その上官は彼をその職から外そうとはしなかった[16]。しかし、1847年7月までに、メキシコプエブラに駐屯する連隊に加わることを認められ、そこでは彼の名前を貰ったウィンフィールド・スコット将軍が率いる軍隊の一部となった[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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