ウィンナ・ワルツ
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ウィンナ・ワルツ (ドイツ語: Wiener Walzerヴィーナー・ヴァルツァー、英語: Viennese waltzヴィアニーズ・ウォールツ) は、19世紀ウィーンで流行し、ウィーン会議を通してヨーロッパ中に広まっていった3拍子のワルツ

ウィンナ・ワルツにおける3拍子は、3拍が均等な長さを持たず、2拍目をやや早めにずらすように演奏され、独特の流動感を生んでいるが、これは当時の演奏習慣ではなく、20世紀中頃に成立した習慣であるとする見解もある[1]

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートは、シュトラウス家の作品を中心とするウィンナ・ワルツが演奏されることで有名である。
歴史王宮における宮廷舞踏会の様子。中央の白鬚の男性はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世1900年の絵画)

「ワルツの父」というあだ名で呼ばれるため、ヨハン・シュトラウス1世がウィンナ・ワルツの創始者であるように思われることもあるが、一般的にウィンナ・ワルツの創始者とされるのはヨーゼフ・ランナーである。

19世紀初頭、ウィーンにミヒャエル・パーマーという音楽家の率いる楽団があった。パーマーはワルツに初めて「トゥーシュ」と呼ばれる序奏コーダ(結尾)を採り入れ[2]、ワルツにウィーン独自の特徴をつけた。ランナーとシュトラウス1世はもともとパーマー楽団の団員であったため、パーマーのワルツこそがウィンナ・ワルツの源流といえる。ランナーはパーマーのワルツを基礎として、序奏のあとで5つの小ワルツを組み合わせて最後にコーダを置き、さらに魅力的な曲名をつけるスタイルを発明し、ウィンナ・ワルツの原型を作った[3]

パーマー楽団から独立したランナーとシュトラウス1世は、「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争の中で、ウィンナ・ワルツを発展させていった。ランナーとシュトラウス1世のワルツは当時のウィーンで圧倒的な人気を誇り、ショパンにウィーンで『華麗なる大円舞曲』を出版することを断念させた。ランナーのファンにはシューベルトがいた。しかし、ウィンナ・ワルツの様式を完成させたのはシュトラウス1世の息子ヨハン・シュトラウス2世である。シュトラウス2世はウィンナ・ワルツの黄金時代を築き、ロシアのチャイコフスキーやフランスのワルトトイフェルなどにも多大な影響を与えた。シュトラウス2世を始めとするウィンナ・ワルツの作曲家たちは、ワルツと同様にポルカ行進曲などの作曲も手掛け、さらにウィンナ・オペレッタ(ドイツ語版)の分野にも進出し、重要な役割を果たした。

19世紀は「ワルツの世紀」とも呼ばれる。世紀初頭のウィーン会議によって世界的な流行が始まり、1899年のシュトラウス2世の死やワルトトイフェルの引退などによって、世紀末に一区切りを迎えたからである。しかし、ウィンナ・ワルツの系譜上にあるウィンナ・オペレッタは、フランツ・レハールエメリッヒ・カールマンなどが現れたことにより、20世紀初頭に「銀の時代」と呼ばれる第二の黄金時代を迎えた。ウィンナ・オペレッタ最末期の作曲家であるロベルト・シュトルツは、ウィンナ・ワルツの伝統の最後の保持者として指揮棒を振り、膨大な録音を残している。
音楽.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "ウィンナ・ワルツ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2019年7月)

音楽としてのウインナワルツは、中心作曲家のヨハン・シュトラウス2世が音楽史上でも稀に見るメロディメーカーであったように、何といっても美しいメロディを豊富に披瀝する音楽であり、その一方ではリズムや構成形式がある程度固定されているのはもちろん、和声やオーケストレーションという点でも独創性の余地は多くない。その点ではポピュラー音楽と共通する要素を備えており、幅広い人気を獲得しやすい一方で、クラシック音楽として論ずる上で不満を唱える専門家も少なくない。日本の評論家では、代表曲とされる「美しく青きドナウ」の和声の単純さを吉田秀和宇野功芳が同様に批判しており、鈴木淳史のように単なるウィーンの観光名物にすぎないと断ずる者もいる。ドナルド・キーンなどははっきり嫌悪感すら表明していた。指揮者でも、近年はウィーンフィルのニューイヤーコンサートが輪番制となったため、お付き合いでこれに出演する有名指揮者が多数派となったが、これを除けば、そもそも大物指揮者が取り上げるべき種類の音楽ではないとする風潮すらあった。

ただ一方では、意識的にウィンナワルツをレパートリーに据える大指揮者の系譜として、クレメンス・クラウスブルーノ・ワルターヘルベルト・フォン・カラヤンオトマール・スウィトナーニコラウス・アーノンクールカルロス・クライバーらがいた[注釈 1]。彼らはそれぞれのやり方で美の世界を掘り下げ、ウィンナワルツが一面に限界を持ちながらも他面で深い可能性を持つこと、同時代リヒャルト・ワーグナーヨハネス・ブラームスらの強い支持を受けた魅力の源泉を伝え続けている。
主な作曲家《ウィンナ・ワルツの作曲家たち》
上から1段目:ヨハン・シュトラウス1世ヨーゼフ・ランナーヨーゼフ・シュトラウス
2段目:カール・ミヒャエル・ツィーラーヨハン・シュトラウス2世エドゥアルト・シュトラウス1世
3段目:フィリップ・ファールバッハ1世カール・ミレッカーヨーゼフ・バイヤー


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