ウィンチェルシー
[Wikipedia|▼Menu]

ウィンチェルシー
Winchelsea
ストランド・ゲート (Strand Gate)
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ウィンチェルシーイングランドイースト・サセックス内の位置
座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度55分30秒 東経0度42分32秒 / 北緯50.92500度 東経0.70889度 / 50.92500; 0.70889
イギリス
構成国 イングランド
リージョンサウス・イースト
シャイア
カウンティ
イースト・サセックス
ディストリクトロザー
人口
 ? 合計600人
等時帯UTC+0 (グリニッジ標準時)
 ? 夏時間UTC+1 (英国夏時間)
郵便番号TN36
市外局番01797
ウェブサイト ⇒http://www.winchelsea.com

ウィンチェルシー (Winchelsea) は、イングランドの歴史的カウンティ(英語版)であるサセックスにおいて、非都市カウンティイースト・サセックスにある小さな町である。ハイ・ウィールド(英語版) (High Weald) とロムニー・マーシュ(英語版) (Romney Marsh) の間に位置し、およそライの南西3.2キロメートル (2.0 mi)、ヘイスティングスの北東11.2キロメートル (7.0 mi) にある。この町は、オールド・ウィンチェルシー (Old Winchelsea) として知られるかつて海の浸食により失われた同名の町に代わり、1288年に創られた中世の町の上に建設されている。町はイックルシャム(英語版)行政教区の一部となる。町はイングランドで最も小さな町であるともいわれる[1]
オールド・ウィンチェルシー

オールド・ウィンチェルシーは、ブリード川(英語版)、ロザー川(英語版)、ティリンガム川(英語版)の河口の合流点に囲まれた大規模な礫質堤防上にあり、キャンバー (Camber) と呼ばれる錨地を備えていた。そのかつての町は、1130年に Winceleseia 、1321年に Old Wynchchelse として記録されている[2]

1066年ノルマン・コンクェスト(ノルマンの征服)後、ウィンチェルシーは海峡横断貿易(特にロンドンの貨物集散地〈Entrepot〉としての役割)および海軍基地として非常に重要であった。13世紀にはガスコーニュからのワイン貿易で有名になった[3]。当時はおよそ700軒の家屋、50軒の宿屋や酒場があり、3000-5000人の住民がいたと考えられる[2]

1280年以前、大規模な1287年の洪水(英語版)により完全に破壊されるまで[4]、浸水により町の多くが破壊されていた[2]。この地域は今日キャンバー・サンズ(英語版)が覆うともいわれる[5][6]
「新」ウィンチェルシー近郊の防波堤跡ウィンチェルシーの風景
(1795年頃、トマス・ガーティン作)

今日のウィンチェルシーは、1292年にかけて旧市街の住民が現在の場所に移り住んだことによる[7]1281年に王エドワード1世は、そこに方格設計に基づいて計画された町を建設するよう命じた。その町の計画者は Henry le Waleys と Thomas Alard と記録されている[8]。新しい町は、オールド・ウィンチェルシーよりかつての町の称号を継承し、ライおよび5か所の主要な港町と同じくシンク・ポーツ(英語版)の加盟を維持した。

町にはブリード川に潮汐影響港があり、そこは14世紀中頃まで栄えた。その後、15世紀までの百年戦争中にフランススペインの襲撃を受け、それにペスト(黒死病)にも襲われた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef