ウィンズケール原子炉火災事故
[Wikipedia|▼Menu]

ウィンズケール
ウィンズケールの原子炉 1985年
(中央と右。左の球状の建造物はAGR)
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}イングランドにおけるウィンズケールの位置
イギリス
所在地セラフィールド
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯54度25分29.50秒 西経03度30分00秒 / 北緯54.4248611度 西経3.50000度 / 54.4248611; -3.50000 (ウィンズケール)座標: 北緯54度25分29.50秒 西経03度30分00秒 / 北緯54.4248611度 西経3.50000度 / 54.4248611; -3.50000 (ウィンズケール)
現況運転終了
運転開始1950年10月 (1950-10)
運転終了1957年10月 (1957-10)
事業主体Sellafield Ltd

種類黒鉛減速・空気冷却炉
テンプレートを表示

ウィンズケール原子炉火災事故(ウィンズケールげんしろかさいじこ、英: Windscale fire)は、1957年10月10日に起きたイギリス史上最悪の原子力事故で、最大でレベル7まである国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル5の事故と評価された[1]

2基の原子炉は、英国の原爆製造計画の一部として突貫工事で建設された[2]。ウィンズケール原子炉1号基は1950年10月に、続いて2号基は1951年6月に運転を開始した[3]

ウィンズケール[4][5][6][訳注 1]は原子力施設群の名前であり、地名ではない。場所的にはシースケールの町はずれから数百ヤード北側の距離に位置する[訳注 2]。1号炉および2号炉は核兵器を生産する目的で建設された軍用の原子炉であり、発電機を備えていないため、原子力発電所には分類されない。コールダーホール原子力発電所や後に建設されたソープ再処理工場も同じ敷地内である。

事故はカンブリア州にある原子力施設のウィンズケール(現在のセラフィールド) の敷地にある原子炉1号基の炉心で火災が発生したもので、多大な放射能汚染を周囲にもたらした。

事故による直接的な死者はいないとされている一方で、事故が原因とされる癌で12人が死亡という報告[7]や100人が死んだ[8]あるいはそれ以上という試算もあり、調査ごとに数字が異なっている[9]

シースケール村で生まれた子供は、白血病で死ぬ割合が平均の9倍に達しているとの調査が1987年になされたが、放射線による影響はないとされた[10]。一方、住民はの多発を訴えている[11]
ウィンズケール原子炉ウィンズケール原子炉1号基の概念図
Air flow: 空気の流れ
Fuel rods: 燃料棒
Graphite core: 黒鉛の炉心
Channel: 核燃料冷却プール
Filter: フィルタ
図は ⇒BBCの記事の方が解り易いウィンズケール原子炉の断面図
Filter: フィルタ
Biological Cover: 炉心シュラウド[訳注 3]
Graphite core: 黒鉛の炉心
Coolant Air Intakes: 冷却空気取入口
Fuel Output: 燃料取出口

第二次世界大戦後、英国政府は世界の強国として軍備拡張競争の発展に置き去りにされたくないがために、可能な限り早い、独自の核開発に乗り出した。

原子炉はカンブリア州にある小さな村、シースケールの近くに建てられた。ウィンズケール原子炉1号基および2号基として知られていた2つの原子炉は、数百フィート隔てて建てられた大きなコンクリートの建屋に収容されていた。原子炉は黒鉛減速空気冷却炉であった。核分裂反応は大量の熱を発生するため、黒鉛のチャンネル(燃料を通すための溝)を介して空気を吹き込むことによって炉心を冷却する必要があった。冷却用の空気は一組の大型ファンにより取り入れられ、高温の空気は炉心の背面から外に排出され煙突を昇った。フィルタはノーベル賞受賞者でAEREの責任者だったジョン・コッククロフトの介入で建設の後の方で追加され[12]、燃料排出面の真上にある回廊に収納された。フィルタなど不要で、費用と時間の無駄であり技術的な頭痛の種になるだけとみなされ、大きなコンクリートの建屋の400フィート(120メートル)の煙突の上部に工期の終わり頃に追加された。このために、建設作業者や技術者達には「コッククロフトの飾り物」(英: Cockcroft's Folly) と呼ばれていた。
炉心の設計

原子炉は固体グラファイト製の炉心で、ウランと同位体のカートリッジを通す水平のチャンネルがあり、同位体のカートリッジに中性子放射を晒すことで、ウランからプルトニウム放射性同位元素のそれぞれを生成した。核燃料と同位体は原子炉の正面、"燃料供給側"のチャンネルに供給し、使用済み核燃料は炉心を通り抜けて背面、"燃料取出側"に押し出され、いったん水で冷却してからプルトニウム抽出のための再処理をした。
燃料

天然ウランは冷却効率を向上させるために放熱板が付いたアルミニウムの燃料カートリッジに入れられ、プルトニウムの生産に使用されていた。このプルトニウムは核兵器に使用する意図があったため、重いプルトニウムの同位体(240Pu, 241Pu など) の生成を減らすために燃料の燃焼度は低く保たれていた。
同位体カートリッジ

以下の物質が燃料カートリッジの内部に納められ、放射性同位元素を作成するために中性子照射された。生成する目的物質と、反応の過程で生じる同位体の組み合わせのいくつかを以下に示す。これらのうち、ポロニウム210の放出が集団線量に最も大きな役割を果たした[13]

目的物質
リチウム-マグネシウム合金三重水素
窒化アルミニウム炭素14
塩化カリウム塩素36
コバルトコバルト60
ツリウムツリウム170
タリウムタリウム204
酸化ビスマスポロニウム210
トリウムウラン233

ウィグナーエネルギー


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:114 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef