ウィンストン・セーラム
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ウィンストン・セーラム市
City of Winston-Salem

ウィンストン・セーラムのスカイライン
位置

ノースカロライナ州におけるウィンストン・セーラムの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度6分10秒 西経80度15分38秒 / 北緯36.10278度 西経80.26056度 / 36.10278; -80.26056
歴史
合併1913年
(セーラム: 1766年創設、ウィンストン: 1849年創設)
行政
アメリカ合衆国
 ノースカロライナ州
 フォーサイス郡
 市ウィンストン・セーラム市
地理
面積 
  市域342.9 km2
    陸上  335.7 km2
    水面  7.3 km2
標高296 m
人口
人口(2020年現在)
  市域249,545人
  備考[1]
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.cityofws.org/

ウィンストン・セーラム(Winston-Salem)は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州フォーサイス郡にある都市。郡庁所在地で、人口は24万9545人(2020年)である。ピードモント・トライアド都市圏(グリーンズボロ・ウィンストン・セーラム・ハイポイント広域都市圏)ではグリーンズボロに次いで大きい。

ウィンストン・セーラムは、1766年にモラヴィア兄弟団によって創設された宗教都市「セーラム」と、1849年に創設された「ウィンストン」が1913年に合併して誕生した。このため、しばしば「ツイン・シティ」と呼ばれることがある。今日のウィンストン・セーラムのダウンタウンの南側には、入植当初のセーラムの街並みが復元され、地区全体が博物館となっているオールド・セーラムが広がっている。

古くはたばこ産業と繊維産業で栄え、たばこ会社R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーやヘインズ(英語版)の企業城下町として発展した。また、ワコビアの旧本社所在地、ドーナツ・チェーンのクリスピー・クリームの発祥の地としても知られる。R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーのたばこの銘柄ウィンストン及びセーラムは、この都市の名前に由来している。また、ウィンストン・セーラムは、ウェイクフォレスト大学やセーラム女子大学などがキャンパスを置く、大学都市としての側面も持っており、特にウェイクフォレスト大学は地域におけるハイテク産業発展の牽引役ともなっている。
歴史
セーラム

1753年1月、モラヴィア兄弟団の司祭オーガスト・ゴットリーブ・スパンゲンバーグと慈善事業家コーネリアス・ヴァン・レイアはマディ・クリークの3つの分岐点を入植の地に選び、ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵のオーストリアの先祖の地に因みdie Wachau(ラテン語のワコビア)と名付けた。ワコビア銀行は創業地であるこの地に因み名付けられた。後に第2代グランヴィル伯爵ジョン・カートレットより99,000エーカー(400km2)の土地を購入した。

1753年11月17日、後にベサバラとなる地に最初の入植者が到着。この町は急速な成長にもかかわらず主要な植民地とはならなかった。1759年、何人かの植民は近くのベサニアに土地を拡げた。最終的に多くの人々が新しい町に住みやすい土地を見付けた。

選ばれた町が故ツィンツェンドルフ伯爵により選ばれていたセーラム(ヘブライ語で『平和』を意味するShalomから)と名付けられた。1766年1月6日、建築のための初の伐採が行なわれた。現在セーラム・スクエアと呼ばれる中心地の周りに集まった信徒たちの公共の建物ができ、セーラムは典型的モラヴィア信徒植民地となった。教会、未婚の教会員や修道女の家などは全て市の所有であった。1848年には教会会議により、北米モラヴィア兄弟団は南北の2管区に分けられ、南部管区の本部がセーラムに置かれた[2]。長年この地には信者のみが住むことを許可されていたが南北戦争により解消された。植民地時代の当時の建物の多くはオールド・セーラムに移転し再建された[3]。セーラム・スクエアと1772年から信徒の墓地であるゴッズ・エーカーは毎年イースターの朝に行なわれる世界的に有名なモラヴィア信徒の早朝礼拝の地である。この礼拝は市内全てのモラヴィア教会により支持されており、毎年何千人もの信者が訪れ、ウィンストン・セーラムは『イースター・シティ』とも呼ばれる。
ウィンストン

1849年アメリカ独立戦争の地元の英雄でセーラムではよく名の知れたジョセフ・ウィンストン(英語版)に因んで名付けられたウィンストン市が創立された。その後すぐにウィンストンとセーラムは一緒にフォーサイス郡として新たに組織され、タバコ家具織物などの産業面で成功を収めた。1851年、ウィンストンは郡の首都となり、ウィンストンとセーラムを統合して一つの市とする計画を立て、郡庁舎がセーラムの町からたった1マイル(1.6km)の場所に建てられた。
ウィンストン・セーラムレイノルズ・ビルディング

1899年アメリカ合衆国郵政省はセーラムとウィンストンの双方にあった郵便局を統合し、1913年、間にハイフンを入れた「ウィンストン・セーラム(Winston-Salem)」として公式に市を合併した。ただし、USPSアドレス・インフォメーション・システムはこのハイフンを認めていない[4]

R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーを創業したレイノルズ家は歴史的にも一般の生活にも大きな役割を担った。1940年代、ウィンストン・セーラムの就業者の60%がレイノルズかヘインズの繊維工場に勤務していた[5]。レイノルズ社は多くのフランス製タバコ紙、トルコのタバコ葉をキャメルの製造のために輸入し、200マイル(約320km)内陸にもかかわらず連邦政府公認の通関手続地となり[5]1916年、国内で8番目に大きい通関手続地となった[5]

1917年、レイノルズ社はウィンストン・セーラムに84エーカー(約340,000m2)の土地を購入し、180戸の家を建て実費のみで従業員に売却し、この地域は『レイノルズタウン』と呼ばれるようになった[5]。翌1918年、R・J・レイノルズは死去。当時レイノルズ社は市内に121戸の建物を所有していた。

1929年、レイノルズ・ビルディングがウィンストン・セーラムに完成した。建築事務所シュリーヴ・ラム・アンド・ハーモンのウィリアム・L・ラムがデザインしたこのアール・デコ調のビルは、314フィート(約95.7m)、21階建ての高層ビルで、完成当初メリーランド州ボルチモアより南で最も高いビルとなり、全米建築賞を受賞した。1931年ニューヨーク市に建てられた、同じ設計者による、より高いエンパイア・ステート・ビルディングの先駆けでありモデルであるとされている[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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