ウィロビー・ド・アーズビー男爵
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ウィロビー・ド・アーズビー男爵
Baron Willoughby de Eresby

紋章記述Arms:Quarterly: 1st and 4th, Or fretty Azure (Willoughby); 2nd, Or three Bars wavy Gules (Drummond); 3rd, Ermine three Pomeis each charged with a Cross Or (Heathcote)
創設時期1313年7月26日
創設者エドワード2世
貴族イングランド貴族
初代初代男爵ロバート・ド・ウィロビー
現所有者28代女男爵ジェーン・ヒースコート=ドラモンド=ウィロビー(英語版)
推定相続人セバスチャン・ミラー
サー・ジョン・エアード(英語版)
付随称号なし
現況存続
モットーLoyaute me oblige
(Loyalty binds me)

ウィロビー・ド・アーズビー男爵(: Baron Willoughby de Eresby,[?w?l?bi d? ??rzbi][1])は、複雑な歴史と経緯を持つイギリスの男爵貴族イングランド貴族爵位。度重なる女系継承を経て、現在はヒースコート=ドラモンド=ウィロビー家が保持する。

なお、現在の同家は男爵位以外の爵位を持たない。
歴史
男爵位の黎明一族の領地スピルズビーに位置するセント・ジェームズ教会。5代男爵が眠る。

一族の祖ロバート・ド・ウィロビー (1260-1317) はリンカンシャーに位置するスピルズビー荘園(英語版)の封建領主であり、エドワード1世下のフランス及びスコットランド戦役に従軍した[2]。彼はその晩年にあたる1313年7月26日貴族院よりウィロビー男爵 (Baron Willoughby) として議会招集を受けた[2][3]。ロバートの後は、その息子ジョンが爵位を継承した[2][3]

2代男爵ジョン (1304?1349) はクレシーの戦いにおける指揮官の一人を務めている[2]

3代男爵ジョン (1329-1372) が当主を務める1350年代に他家と区別する領地指定部分のド・アーズビー (de Eresby) が加えられている[3][4]。ジョンの後も3代にわたって直系男子による継承がなされた[3]

5代男爵ウィリアム (1370?1409) はグリンドゥールの乱の和睦交渉を行ったほか、初代ノーサンバーランド伯爵ヘンリー・パーシーの叛乱に際してもヘンリー4世への忠誠を示した[5]

その息子である6代男爵ロバート (1385?1452) は百年戦争に参加して1417年にはガーター勲章を授けられている[2][6]。しかし彼が男子なく没したため、爵位は娘ジョアン (?-1462) に相続されるとともに嫁ぎ先であるウェルズ男爵家へと流出した[3]
私権剥奪の対象となる12代女男爵キャサリン・ウィロビー。バーティ家爵位継承の端緒となった女性。ヘンリー8世より一族に下賜された邸宅グリムスソープ城(英語版)詳細は「ウェルズ男爵(英語版)」を参照

7代女男爵ジョアンの夫リチャード・ウェルズ (1428??1470) は1455年に妻の権利(英語版)に基いて、新規にウィロビー・ド・アーズビー男爵として貴族院より議会招集された[2][7]。彼はウェルズ男爵家嫡男だったが、父ライオネル(英語版)の死後6年も経った1467年にウェルズ男爵位を継いだ[注釈 1][8][9][10]。しかしながら、彼の息子ロバートがエドワード4世に反旗を翻してエンピンガムの戦いを起こして敗れると、父子ともに私権剥奪の対象となり爵位は没収されてしまう。なお、エドワード4世は召し上げた両男爵家の領地を寵臣リチャード・ヘイスティングス(英語版) (?-1503) に下賜している。

時代が少し下ったヘンリー7世の世になると状況は好転して、1485年頃にウェルズ父子の私権回復がなされた。そのため、7代女男爵ジョアン及びリチャード・ウェルズ夫妻を通してその息子ロバート (?-1470)、娘ジョアン (?-1475)、又従兄弟クリストファー、その子ウィリアムの順に爵位と領地が法令上は受け継がれたと解される[注釈 2][7]。ただし事実上の爵位継承はリチャード・ヘイスティングス死去時に存命だった10代男爵ウィリアムを待たなければならなかった[注釈 3][3]。また、1455年の議会招集爵位たるウィロビー男爵は既に継承できる者が全員物故となっていたため、あらためて爵位廃絶となった[2]

10代男爵ウィリアム (1453?1499) には男子がなかったため、彼の後はその娘キャサリンが爵位を相続している[3]

11代女男爵キャサリン (1519-1580) は初代サフォーク公爵と結婚したが先立たれたため、リチャード・バーティー (1517?-1582) と再婚している[11]。キャサリンが没すると、バーティ夫妻の長子ペレグリン(英語版)が爵位を相続したことで、男爵位はウェルズ家からバーティー家へと移っている[12]
栄達するバーティー家21代女男爵プリシラ詳細は「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」を参照

12代男爵ペレグリン・バーティ(英語版) (1555-1601) は式部卿を世襲する名門オックスフォード伯爵家令嬢メアリーと結婚して、長男ロバート (1582-1642) を儲けた[3][12][13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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