ウィル・ライト
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ウィル・ライト
サウス・バイ・サウスウエストにて
生誕 (1960-01-20) 1960年1月20日(64歳)
アメリカ合衆国 ジョージア州アトランタ
職業ゲームクリエイター
配偶者ジョエル・ジョーンズ
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ウィリアム・”ウィル”・ラルフ・ライト(William "Will" Ralph Wright、1960年1月20日 - )はアメリカゲームクリエイターシミュレーションゲームシムシティをはじめとするシムシリーズの製作者。2009年4月に当時所属していたエレクトロニック・アーツ社を退社、現在は同社と共同で設立したエンターテインメント・シンクタンク「Stupid Fun Club」代表。
来歴
幼少期

1960年、ジョージア州アトランタに生まれ、9歳まで過ごす。父親ビル・ライトは、ジョージア工科大学の卒業生であり、プラスチック・パッキング分野の起業家で、1960年代初期に設立した会社を成功させている。母親のビーバリーはアマチュア・ミュージシャンで、女優。

ライトは、地方のモンテッソーリ教育を受けている。その時期に、クリエイティビティの重要さ、問題解決、セルフモチベーションといったことを楽しんだことが後のゲームクリエイターとしての人生に影響を与えたことを認めている[1]。ライトは後に、自分自身を振り返って「自分は偏執狂である」と語る[2]

子供の頃は、模型作りに夢中で、船、車、飛行機から様々なものをつくっていた。10歳のときには、USSエンタープライズのデッキの木製スケールモデルを作っていた。ライトはのちに、こうした少年時代の経験が彼のゲームデザインのビジョンとして形になっていったと語る[3]

ライトは、父親と異世界の可能性や、NASA、星々といったものについて議論していた。当時の彼の夢は宇宙飛行士になることであり、人口過剰を救うためのスペースコロニー設立だった。父親もライトの夢に好意的だった。また、彼はアバロンヒルのボードゲームのファンであった。とりわけ、その傾向性を「ルール」という裁定者の形に落とし込んでいるというような部分を楽しんでいた。

だが、父親はライトが9歳のときに白血病でなくなる。それと共に母親の故郷であるルイジアナ州バトンルージュに移り住む。

ライトは、地方の米国聖公会(Episcopal)系の高校に入学し、教師とディベートする機会を楽しんでいた。彼は無神論者の立場をとってディベートをしていた。だが、彼は総合的には従来の学校教育制度はモンテッソーリよりも劣っているという印象を持つ[4]
教育

高校卒業して16歳のときに、ルイジアナ州立大学に入学。その後さらにルイジアナ工科大学へ。当初は建築学科だったが、続いて、機械工学科へ。そして、コンピュータとロボット工学へと熱中することになる。彼は彼が興味をもったものについては極めて優秀だった。建築学、経済学、機械工学、そして軍事史…。彼の少年時代のスペースコロニーへの夢は、ロボット工学へと接合されることとなる。そして、ルイジアナ工科大学へうつって二年後にマンハッタンのThe New Schoolと籍を移す。5年間の大学生活ではコンピュータとロボット工学に熱中し、学位は取得しなかった。また、大学の夏休みで、やがて妻となるジョエル・ジョーンズとも知り合う。彼女はカリフォルニアのアーティストだった。2003年のインタビューによれば、彼は当時ゲームが彼の時間の大半を吸収していて、それで彼はゲーム作りこそが進むべき道なのだ、と決めたという。

ブローダーバンド社にデザイナーとして勤め、1984年コモドール64向けのヘリコプターゲーム『バンゲリングベイ』の開発に携わった。これがライトの事実上のデビュー作と言われる。その開発中にゲーム用地形マップの制作に面白さを見いだしたライトは、開発用のマップ生成ツールに改良を加え『シムシティ』の原型となる都市開発シミュレータを組み上げる。また、都市理論家のクリストファー・アレグザンダーや、ジェイ・フォレスターの仕事に影響を受ける[5]。ライトはタイムズのインタビューで、コンピュータは想像力の拡大をしていると信じていると述べ、それを「メタ・ブレイン」の出現である、と位置づける[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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